vital
一人で走る。
でも、独りでは走れない。
しかも最初は、「取り残されない様に」みんなについて走り出したはずなのに、あとでは、「ムキになって 群れから飛び出してきた」と言う。どっちなんだ。たぶん、どっちもなのだ。
そのあいだを何度もつなぎ直す言葉が、「僕には君がいる」。この歌は、そこへ何回でも戻ってくる。
作品情報
- 収録作品
- 2nd album『約束の場所』
- Track
- 5
- 制作
- 2006年10月
- 初出
- 2007年4月4日
- クレジット
- 作詞: みゅー/作曲: みゅー
歌詞
流れる時間の上に ただ 笹舟の様に流されて
一つの物語が終わる 涙のグランドフィナーレ
小さな歴史のうねりの中に 飲まれて もみくちゃにされて
新しい物語が始まる 終わりはスタートライン
わけも分からないまま 合図が鳴って 一斉に動き出す
取り残されない様に 僕も走り出す
見知らぬ人 見知らぬ道 不安で 立ち止まりたくもなるけど
そうだ 僕には君がいる そう思えば 次の一歩 踏み出せるんだ
意味の無い繰り返しに 絶望を感じる時
君の笑顔を思い出すんだ
YES 僕には君がいる それだけが 今の僕を 支えてるんだ
長い旅路の果てに 安住の地を見つけるまで 僕を支えていて
そして いつまでも 僕の側にいて
人生は一方通行に ただ 逆走することは許されなくて
レースは冗長性を増す 先の見えないトンネル
小さな歴史の教科書の中に 優しい思い出が記してあって
足跡だけが増えていく 日々を記すダイアリー
本当は寂しいのに ムキになって 群れから飛び出してきた
やりきれない孤独に 感情も走り出す
独りぼっちだ! 独りぼっちかい? 心の瞳 閉ざしてもみたんだけど
でも 僕には君がいる それだけは 紛れも無い 宝物なんだ
「独りでもやっていけるか?」って 自らに問いかけてみて
悩む暇もなく出した 結論は
No 僕には君が要る どうしても 君が必要なんだ
暗い夜が明けて また朝日が昇るまで 笑顔 絶やさないでいて
そして 泣き面の 僕の顔にも 少しずつ 微笑みが戻ってきて
持ち前のポジティブ思考で 雨が降っても 槍が降っても 走り続けるんだ
そう! 僕には君がいる そう思えば もう何も 怖くはないんだ Uh…
イェーイ 僕には君がいる そう思うこと いつもそこに戻ってくるんだ
果てしない宇宙の彼方に 一人置き去りにされても
しぶとく生き残って 君の元に戻ってやるんだ
なんだ 僕には君がいる そんな簡単なことに やっと 気付いたんだ
「明日も君に会える?」って もう問いかける必要も無いんだ
いつまでも 僕を支えていて いつまでも 僕の側にいて
どんな時も 笑顔でいて
曲を読む
最初の自分は、自分で進んでいない。
流れる時間の上に ただ 笹舟の様に流されて
一つの物語が終わる 涙のグランドフィナーレ
笹舟である。エンジンもない。舵もない。水が流れれば、そのまま流される。
しかも、
ただ
である。かなり受け身だ。なのに終わり方だけは、
涙のグランドフィナーレ
壮大である。笹舟なのにグランドフィナーレ。小さいのか大きいのか、よく分からない。次の連では、その「物語」がすぐ始まり直す。
小さな歴史のうねりの中に 飲まれて もみくちゃにされて
新しい物語が始まる 終わりはスタートライン
今度は、「小さな歴史」。
世界史ではない。
たぶん自分の周りで起きている、小さな区切りだ。
でも、その程度の歴史でも、飲まれる。
もみくちゃにされる。本人にとっては十分大きい。そして、
終わりはスタートライン
と言う。ずいぶん前向きな標語に見える。ただ、この人が前向きに終わりを選んだわけではない。さっきまで流されていた。泣いていた。
それでも終わってしまったので、次が始まる。前向きというより、時間の方が勝手に次のページをめくっている感じに近い。実際、スタートしても本人は状況を理解していない。
わけも分からないまま 合図が鳴って 一斉に動き出す
取り残されない様に 僕も走り出す
見知らぬ人 見知らぬ道 不安で 立ち止まりたくもなるけど
「わけも分からないまま」。でも合図は鳴る。周りは一斉に走る。だから、
僕も走り出す
である。
自分が行きたいから走るのではない。
取り残されない様に
走る。かなり心細いスタートだ。そこで初めて、この曲の中心になる一文が出る。
そうだ 僕には君がいる そう思えば 次の一歩 踏み出せるんだ
意味の無い繰り返しに 絶望を感じる時
君の笑顔を思い出すんだ
最初は、
そうだ
である。新しい発見というより、忘れていたことを思い出した声だ。そうだった。僕には君がいた。
君が実際に隣で腕を引っ張るわけではない。
そう思えば
なのである。さらに、
君の笑顔を思い出す
とも言う。君そのものより、君について考えること、記憶することが足を動かす。見知らぬ道を走っている本人の中に、持ち運べる君がいる。そして今度は、もっと強く言う。
YES 僕には君がいる それだけが 今の僕を 支えてるんだ
長い旅路の果てに 安住の地を見つけるまで 僕を支えていて
そして いつまでも 僕の側にいて
YES。肯定する。しかも、
それだけが
である。君がいるということだけが、今の僕を支えている。かなり一本足だ。支えとしては強い。同時に、そこしかないのは危うい。
そして、その支えを求める期間も少しおかしい。最初は、
安住の地を見つけるまで
である。いつか安住の地に着けば、支えてもらう仕事は終わりそうに聞こえる。でも直後に、
そして いつまでも 僕の側にいて
となる。「まで」が「いつまでも」へ伸びる。ゴールまででいい。いや、ずっといて。自分で走る歌なのに、お願いはかなり長期契約である。
次に人生の比喩が、川から道路とレースへ変わる。
人生は一方通行に ただ 逆走することは許されなくて
レースは冗長性を増す 先の見えないトンネル
「一方通行」。逆走は許されない。時間は戻れない、という話なのだろう。でも、
レースは冗長性を増す
が妙だ。レースに「冗長性」という、ずいぶん硬い言葉を持ってくる。道のりが余計に長くなっているのか。同じことの繰り返しが増えているのか。いずれにしても、ゴールへ一直線に近づいている感じはしない。
しかも、
先の見えないトンネル
である。スタートラインには立った。走っている。
でも、どこへ行くのかは相変わらず見えない。
その中で、「歴史」が二度目の姿になる。
小さな歴史の教科書の中に 優しい思い出が記してあって
足跡だけが増えていく 日々を記すダイアリー
最初の「小さな歴史」は、
うねり
だった。本人を飲み込み、もみくちゃにするものだった。今度は、
教科書
になる。起きている最中には波だったものが、あとになるとページへ書かれる。しかも教科書に残るのは、
優しい思い出
である。過去は、起きたときのまま保存されるわけではないらしい。そして現在の日々は、
ダイアリー
へ書かれる。教科書は、あとから整理された歴史。ダイアリーは、まだ意味が決まっていない今日。そのあいだで増えていくのは、
足跡だけ
である。
成果ではない。
到達点でもない。歩いた痕跡だけが増える。それでも、進んでいる証拠にはなる。そして後半になると、この人がなぜ一人になったのか、最初とは違う説明が出てくる。
本当は寂しいのに ムキになって 群れから飛び出してきた
やりきれない孤独に 感情も走り出す
独りぼっちだ! 独りぼっちかい? 心の瞳 閉ざしてもみたんだけど
最初は、
取り残されない様に 僕も走り出す
だった。みんなに置いていかれたくなかった。ところが今度は、
群れから飛び出してきた
と言う。しかも、
ムキになって
である。
自立を選んだ英雄ではない。
本当は寂しい。それでも意地になって飛び出した。群れについていきたい自分と、群れから出たい自分。どちらもいる。
だから、
独りぼっちだ!
と言い切った直後に、
独りぼっちかい?
と自分へ聞き返す。感嘆符が疑問符になる。孤独だ。本当に?自分で言ったことを、その場で疑う。
さらに、
心の瞳 閉ざしてもみたんだけど
という書き方も妙だ。瞳を閉ざす。なのに正本では最後に、「見た」という字が残る。「閉ざしてみた」という普通の言い回しを、そう表記しただけなのかもしれない。意図は決めない。
ただ、目を閉じる行に「見た」が残っているのは、この歌の孤独の確かめ方によく似合う。一人になろうとして、自分だけを見ようとしても、なかなか答えが出ない。そこでまた、あの一文へ戻る。
でも 僕には君がいる それだけは 紛れも無い 宝物なんだ
今度の入口は、
でも
である。独りぼっちだ。でも。僕には君がいる。
しかもさっきは、
それだけが
だった。今回は、
それだけは
である。「それだけが今の僕を支える」なら、支えを一つに絞る言い方だった。「それだけは紛れも無い」になると、ほかのことは分からなくても、少なくともこれだけは確かだ、という感じになる。世界も。進路も。
孤独なのかどうかも。よく分からない。
でも、これだけは。
僕には君がいる。そして、とうとう自分へ直接質問する。
「独りでもやっていけるか?」って 自らに問いかけてみて
悩む暇もなく出した 結論は
No 僕には君が要る どうしても 君が必要なんだ
暗い夜が明けて また朝日が昇るまで 笑顔 絶やさないでいて
「独りでもやっていけるか?」これは、自立の試験みたいな問いだ。Yesと言えば格好いい。一人でも大丈夫です。
そう答えそうなところで、
No
である。しかも、
悩む暇もなく
出る。
考え抜いた末の結論ではない。
即答だ。そして、
僕には君が要る
になる。ここまで何度も出てきたのは、「君がいる」。存在している。今度は、「君が要る」。必要である。
同じ「いる」という音が、ここで意味を変える。いる。要る。君が存在するという事実から、僕が君を必要としているという告白へ行く。この歌は、一人でやっていけるようになることを答えにはしない。
むしろ、無理。君が必要だ。と認める。それでまた走り始める。
そして 泣き面の 僕の顔にも 少しずつ 微笑みが戻ってきて
持ち前のポジティブ思考で 雨が降っても 槍が降っても 走り続けるんだ
君の笑顔を思い出していた人の顔へ、
微笑みが戻ってきて
と書く。
「新しく笑えるようになった」ではない。
戻ってくる。もともとあったものらしい。そして、
持ち前のポジティブ思考
と急に自己評価が元気になる。さっきまで泣いていたのに。かなり立ち直りが早い。
でも、雨も槍も止んだわけではない。
環境が良くなったから走れるのではない。
まだ降っている。その中で走る。そしてまた、
そう! 僕には君がいる そう思えば もう何も 怖くはないんだ Uh…
今度は、
そう!
である。最初の「そうだ」より少し勢いが増した。さらに次は、
イェーイ 僕には君がいる そう思うこと いつもそこに戻ってくるんだ
果てしない宇宙の彼方に 一人置き去りにされても
しぶとく生き残って 君の元に戻ってやるんだ
とうとう、「イェーイ」。だいぶ元気になった。
でも、ここで面白いのは、
いつもそこに戻ってくるんだ
の「そこ」だ。安住の地はまだ見つかっていない。具体的な場所へ戻る話でもない。直前にあるのは、
僕には君がいる そう思うこと
である。だから、この「そこ」は、少なくとも歌詞の流れでは、「僕には君がいる」と思うところ、にも見える。走る。迷う。孤独になる。
泣く。そしてまた、僕には君がいる、へ戻る。未来へ向かって直線で走っているのに、心の中では同じ場所をぐるぐる回っている。そのあとには、宇宙の彼方へ一人で置き去りにされるという、ずいぶん大げさな場面まで想像する。
でも、そこでやることは、宇宙を征服する、ではない。
しぶとく生き残って 君の元に戻ってやるんだ
帰る。そのために生き残る。そして最後の気づきは、意外なくらい軽い。
なんだ 僕には君がいる そんな簡単なことに やっと 気付いたんだ
「明日も君に会える?」って もう問いかける必要も無いんだ
いつまでも 僕を支えていて いつまでも 僕の側にいて
どんな時も 笑顔でいて
ここまで、そうだ。YES。でも。No。そう!
イェーイ。と散々騒いできて、最後は、
なんだ
である。なんだ。そんな簡単なことだったのか。壮大な人生のレース。歴史。
トンネル。宇宙。そこまで行って、戻ってきた答えが、僕には君がいる。だった。
そして最後には、「明日も君に会える?」という問いまで不要になる。ただし、歌詞だけを読む限り、これは毎日実際に会えるという保証を得た、という話ではない。君がいる。そう思う。
そのことへ何度も戻る。だから、毎回外へ確認しなくてもいい。そのくらいまでなら、この歌の中だけで読める。ただ、最後まで依存は消えない。
いつまでも 僕を支えていて いつまでも 僕の側にいて
である。自分で走る。でも支えていてほしい。群れから飛び出す。でも独りでは無理だと言う。
安住の地を探す。でも戻ってくる場所は「僕には君がいる」という思いでもある。この歌は、その矛盾を解決しない。
一人で生きられるようになったから走るのではない。
一人では無理だと認めたうえで、それでも自分の足で走る。そこが vital のいちばん強いところだと思う。
現在のみゅーは、この歌の「君」を自分自身や「脳」へまで広げ、「僕の脳科学が始まった瞬間でもある」と読み直している。ただし歌詞に「脳」は出てこない。それは長い時間の後から見つけた意味として置く方がいい。自分の足で歩きたいのに、誰かに支えていてほしい。その両方が歌の中にあることも消さない。
制作背景
部活動の引退、研究室への配属、新しいアルバイトや人間関係など、複数の生活の切り替わりが重なった時期の曲。本人は現在「一見恋愛ソング風に見えて人生の歌」と説明している。材料は壮大な思想だけではなく、居酒屋のバイト、後輩の笑顔、mixiの日記などかなり日常的だった。音楽面ではギター、ベース、コーラスを中心にし、ボーカルをあえてダブリングせず、終盤の転調後に元の調へ戻す構成を本人が意識していたという。みゅー本人による詳しい制作記録は、NOTES「制作秘話」で読めます。
Mutant Music史から見ると
「vital」でいちばんはっきり過去の曲へ手を伸ばしているのは、
「明日も君に会える?」って もう問いかける必要も無いんだ
である。1st albumの「明日も君に会える」では、本当に、
「明日も君に会える?」
と尋ねていた。そして相手から、「もちろんだよ」と返事をもらう。その返事が嬉しくて、身体が勝手に踊り出すほどだった。「vital」では、もう問いかけなくていい、と言う。これは、相手を必要としなくなったという話ではない。
むしろこの曲は、
No 僕には君が要る どうしても 君が必要なんだ
とまで言う。必要性は強くなっている。違うのは、毎回「明日もいる?」と確かめる形ではなく、
僕には君がいる
という一文へ自分から戻れるようになっていることだ。ただし、これを恋愛関係が一段進んだ物語にする必要はない。そもそも現在のみゅー自身が、「君」は特定の誰かだけではない、と読み直している。一つの過去の問いが、別の歌の中で別の仕事を始めた。そのくらいにしておく方がいい。
もう一つ気になるのが、同じ2006年10月制作の「渇いた水槽」である。そちらには、
生き残ってしまった WHY?
という言葉があった。なぜ生き残ったのか。なぜまだ期待するのか。理由が分からないまま残ってしまった。
「vital」では、
しぶとく生き残って 君の元に戻ってやるんだ
になる。こちらには帰る方向がある。ただし、同じ月に作られた二曲の厳密な先後は、今回の資料からは分からない。だから、困惑する生存から、目的ある生存へ成長した、とは言えない。
同じ時期に、なんで生き残ったんだ。と、君のところへ戻るために生き残る。の両方があった。その方が面白い。
現在のみゅーは、後から『約束の場所』のもう一つの流れを、「生命(ライフ)」とも読んでいる。その目で見ると、vital という題名もよく馴染む。ただ、この曲の「生きる」は一人で完結しない。笹舟のように流される自分。群れについて走る自分。
ムキになって群れから出る自分。独りぼっちだと叫ぶ自分。君が必要だと即答する自分。そして、その君を思いながら自分の足で走る自分。全部いる。
自立か依存か、どちらか一つに選ぶ歌ではない。
むしろ、自分で走るために、誰かを必要としている。そのねじれを堂々と No で認めたところに、この曲の力がある。
最後にたどり着くのも、壮大な安住の地ではない。
なんだ 僕には君がいる
である。宇宙まで行った人が、「なんだ」で戻ってくる。そこがいい。
クレジット
- 作詞
- みゅー
- 作曲
- みゅー