渇いた水槽

正体不明の彗星が来る。

心臓は手を叩いて喜ぶ。ところが心の中を覗くと、水槽は空で、猛獣みたいな欲望が底で干からびている。そのあと自分は食材になり、売れ残り、なぜか生き残る。ずいぶん忙しい。「渇いた水槽」は、期待をやめられない人の歌である。

しかも、その期待が自分を食い荒らしているのか、救っているのかまで怪しくなってくる。

作品情報

Track
1
制作
2006年10月
初出
2007年4月4日
クレジット
作詞: みゅー/作曲: みゅー

歌詞

正体不明の彗星が 遠くからやって来る
制御不能の心臓は 手を叩いて笑ってる

年中 心の水槽は 空になって渇いてる
猛獣ばりの欲望が 底の方で干からびてる

賞味期限が終わってしまった食材を
放り捨てる 売れ残ってしまった

しょうもない期待が 結局この身を巣食う
生き残ってしまった WHY?

思わせぶりのモンスターが ガセをばら撒いてる
正体不明の彗星が 弧を描いて落ちてく

曲を読む

最初の二行から、本人より先に何かが動いている。

正体不明の彗星が 遠くからやって来る
制御不能の心臓は 手を叩いて笑ってる

「正体不明」。まだ何なのか分からない。それなのに心臓は、「制御不能」。こちらが期待するかどうかを決める前に、身体の方はもう喜んでいる。

しかも心臓が高鳴る、ではない。

手を叩いて笑ってる

手なんかないのに。心臓だけが観客になって、遠くから来る何かへ拍手している。かなり浮かれている。何が来るのか分からない。

だから慎重になる、ではない。

何が来るのか分からないからこそ、もう楽しい。その心臓の奥にある景色が、題名の水槽である。

年中 心の水槽は 空になって渇いてる
猛獣ばりの欲望が 底の方で干からびてる

「年中」。

今日たまたま空なのではない。

ずっと空らしい。しかも、水槽の中の何かが渇いているのではなく、

心の水槽は 空になって渇いてる

水槽そのものが渇いている。器まで喉が渇いているような言い方だ。その底にいるのが魚ではなく、

猛獣ばりの欲望

である。水槽なのに猛獣。すでに生態系がおかしい。しかも、その猛獣みたいな欲望が、

干からびてる

獰猛なのか、死にかけているのか。両方である。欲望は大きい。

でも、それを生かしておくものがない。

そして何より妙なのは、そんな水槽へ向かって飛んでくるものが「水」ではないことだ。彗星である。宇宙から来る。心の中には水槽がある。底には猛獣がいる。

少しあとには食材になる。比喩がぜんぜん一か所に落ち着かない。

でも、このまとまりのなさがいい。

渇いているから、何が来ても一瞬「これかもしれない」と思ってしまう。水槽を満たせるものかどうかを確かめるより先に、心臓はもう拍手している。そして突然、食品売場へ行く。

賞味期限が終わってしまった食材を
放り捨てる 売れ残ってしまった

まず、

賞味期限が終わってしまった

「しまった」。

次に、

売れ残ってしまった

また「しまった」。食材は捨てられる。そのあと、誰が「売れ残った」のかは書かれない。文の上では、食材なのか、自分なのか、一瞬ずれる。でも「売れ残る」という言葉が出た途端、食材の話が人間の話に見えてくる。

選ばれなかった。だから売れ残った。しかも「消費期限」ではなく「賞味期限」である。

存在できなくなったわけではない。

まだそこにはいる。ただ、もう価値がないもののように、自分を扱っている。かなりひどい自己評価だ。

ところが、そのあとにもう一つ「残る」が来る。

しょうもない期待が 結局この身を巣食う
生き残ってしまった WHY?

「売れ残ってしまった」。そして、「生き残ってしまった」。選ばれずに残ったことと、生きて残ったことが、ほとんど同じ形になる。しかも三度目の、「しまった」。賞味期限が終わってしまった。

売れ残ってしまった。生き残ってしまった。生きていることまで、「やってしまった」側へ入っている。ここでいちばん引っかかるのが、その直前だ。

しょうもない期待が 結局この身を巣食う

普通なら、「この身巣食う」と言いたくなる。でも正本は、「この身巣食う」。直さない。この「を」が妙なのだ。

なぜなら、「この身を救う」なら、ぴったりだからである。巣食う。救う。同じ「すくう」。歌詞には「救う」とは書いていない。

あくまで、

巣食う

である。しょうもない期待が、自分の中へ住み着いて、自分を蝕む。それだけならかなり暗い。でも助詞の方は、なぜか「救う」の文法になっている。期待がこの身を巣食う。

期待がこの身を救う。どちらとも聞こえてしまう。これが意図的だったかどうかは、歌詞だけでは決められない。

でも、直後にあるのは、

生き残ってしまった WHY?

である。期待に巣食われた。

なのに、生き残った。

あるいは、期待があったから生き残った。どちらなのか。WHY?本人にも分からない。

ここで「WHY?」だけ英語の大文字になるのもいい。

なぜ失敗したのか、ではない。

なぜ生き残ったのか。そっちを聞いている。期待して、ガセに踊らされて、売れ残った。それでもまだ死なずにいる。なんで?

かなり投げやりで、少し可笑しい。そして最後に、また彗星が戻ってくる。

思わせぶりのモンスターが ガセをばら撒いてる
正体不明の彗星が 弧を描いて落ちてく

今度は「モンスター」までいる。水槽には猛獣がいた。外にはモンスターがいる。しかもそいつは、

ガセをばら撒いてる

何かを約束するわけでもない。ガセを撒く。それを拾ったこちらが勝手に期待する。誰が悪いのか、だんだん分からなくなる。

冒頭では彗星が、

遠くからやって来る

だった。最後では、

弧を描いて落ちてく

になる。来た。でも届かなかった。きれいな弧だけ描いて落ちた。「弧を描く」という言葉には、少し美しさがある。

でもやっていることは墜落である。期待する瞬間だけはきれいだった。その結果は別だ。そして水槽には、最後まで水が来ない。空のままである。

それでも、生き残ってしまった。この曲は、期待を捨てれば楽になる、とも言わない。期待を持てば救われる、とも言い切らない。巣食われる。

でも、生き残る。

どういうことなんだ。WHY?そのくらいのところで止まっている。

現在のみゅーは、この歌の「巣食う」に「救う」まで聞き取っている。正本はもちろん変わらない。それでも、しょうもない期待に食われることと、期待によって生き残ることが近くに聞こえてしまう。その二重性は、このアルバムの入口として妙に似合う。

制作背景

2nd albumの一曲目として、本人が「一曲目に相応しいハイテンションな曲」と振り返る曲。イントロの構想は以前からあり、Guns N' Roses「Welcome to the Jungle」を「僕というフィルター」に通して、できるだけポップにしたという。AメロではThe Beatles、歌詞の彗星にはMr.Childrenからの影響も本人が明示し、最後はコード進行も「見事に落ちてフィニッシュ」させたと説明している。みゅー本人による詳しい制作記録は、NOTES「制作秘話」で読めます。

Mutant Music史から見ると

1st album『真実の口』の最後では、

僕が唄うことは 全て真実だから

と言った。自分が外へ差し出す言葉について、これは真実だ、と賭けた。その次のアルバムの一曲目に来るのが、

思わせぶりのモンスターが ガセをばら撒いてる

である。並べると、ちょっと可笑しい。自分の歌は真実だ。

でも、世界から飛んでくるものはガセかもしれない。

もちろん、1stを作った時点でこの反転まで設計していた、という話ではない。その後にいろいろあって、次の曲を書いた。結果として、問いの向きが逆になった。自分が本当のことを言えるか。

から、外から来るものを信じていいのか。へ。しかも「渇いた水槽」の主人公は、疑い深くなって完全防備しているわけではない。むしろ逆である。

制御不能の心臓は 手を叩いて笑ってる

また期待している。何度ガセが来ても、正体不明の彗星が見えたら拍手してしまう。そこから2nd albumが始まる。

もう一つ、現在のみゅー自身が強く結びつけているのが「冬の鼓動」である。「渇いた水槽」では、

年中 心の水槽は 空になって渇いてる

だった。「冬の鼓動」では、

心に出来た 水たまりには 氷が張っていて

となる。

現在のセルフライナーでは、本人自身が、「実はこれが『冬の鼓動』の伏線になってる」と書いている。ただし、2006年10月に「渇いた水槽」を書いた時点で、後の「冬の鼓動」まで具体的に設計していたと分かる記録はない。だから「伏線」という言葉は、現在のみゅーが作品を並べ直して見つけたつながりとして受け取るのがよさそうだ。最初は、水すらない。あとでは、水はある。

でも凍っている。

満たされた、という話ではない。

困り方が変わっただけである。「渇いた水槽」は、後の曲を準備するための曲ではない。この曲だけで、もう十分に変だ。彗星が来る。心臓が拍手する。

水槽は渇く。猛獣は干からびる。自分は食材になって売れ残る。期待に巣食われる。なのに生き残る。

そして最後に彗星は落ちる。2nd album『約束の場所』は、何か立派な約束から始まらない。まず、なぜ自分はまだ期待しているんだ。という WHY? から始まる。

そこがいい。

クレジット

作詞
みゅー
作曲
みゅー