就職活動
応援している。
だから「頑張れ」と言いたい。でも、その人が本当に何を感じているのかは分からない。しかも歌っているうちに、どうも苦しいのは相手だけではなさそうになってくる。「就職活動」は、応援歌として始まったはずなのに、最後には応援している側の寂しさまで隠せなくなる歌である。
作品情報
- 収録作品
- 1st album『真実の口』
- Track
- 7
- 制作
- 2006年2月
- 初出
- 2006年9月4日
- クレジット
- 作詞: みゅー/作曲: みゅー
歌詞
街に出る 電車に乗ると
リクルートスーツに身を包む人たち
必死に本を読み 新聞を読み
履歴書に 短い自分史を刻む
僕がこうして 呑気な日々を送っている間にも
あなたは頑張っているんだろう
僕の声は届いているだろうか?
どんなにあなたのことを 応援しているか
気づいてくれているだろうか?
例え 届かなくてもいい
僕だって 何か一つ 頑張ってみようと想うんだ
知らない街 スーツを着て
知らない人に 自分をさらけ出す
時に傷つき 溜め息も出て 疲れ果てる
あなたはどうして 自分の将来のためといえども
こんなに頑張っているんだろう?
遊びたい時にも 遊べない
休みたい時にも 休めない
それは不幸だ
どんな 御託を並べても
やっぱり それは不幸だ
緊張して 不安は募り 結果を待つばかりの夜
疲れてるのに 眠れなくて
明日も 朝 早いのに 眠れなくて
夜を徹して 身を削られる 思いをしている間にも
僕は 夢を見ているんだなぁ
頑張れ!というのは無責任かな?
こんなにあなたのことを想っていること
気づいてくれないだろうか?
きっと 気づかなくてもいい
僕は 僕なりに何か一つ成果を挙げるから
遊びたい時にも 遊べない
逢いたい人にも 逢えない
それは不幸だ マッチ売りの少女だ
いたたまれない程の 不幸だ
曲を読む
最初に見えるのは、一人の「あなた」ではない。
街にあふれるリクルートスーツだ。
街に出る 電車に乗ると
リクルートスーツに身を包む人たち
必死に本を読み 新聞を読み
履歴書に 短い自分史を刻む
「短い自分史」という言葉がいい。履歴書は、これまで生きてきた時間を数行へ縮める。しかも「書く」ではなく、「刻む」。未来へ進むために、まず自分の過去を短く削って、提出できる形にしなければならない。その人たちはみんな「リクルートスーツに身を包む」。
身体の外側は同じ格好になる。ところが二番では、
知らない街 スーツを着て
知らない人に 自分をさらけ出す
となる。身体はスーツで包むのに、自分はさらけ出す。隠すことと見せることを、同時にやらなければならない。この歌が就職活動をかなりしんどいものとして想像していることは、もうこの二つの動詞だけでもよく分かる。でも、群像を見ていたはずの歌は、すぐ一人へ近づいていく。
僕がこうして 呑気な日々を送っている間にも
あなたは頑張っているんだろう
「頑張っている」ではなく、「いるんだろう」。
見ているわけではない。
想像している。それでも、自分は「呑気」で、あなたは「頑張っている」と、二人の生活を先に分けてしまう。そして応援が始まる。
僕の声は届いているだろうか?
どんなにあなたのことを 応援しているか
気づいてくれているだろうか?
例え 届かなくてもいい
僕だって 何か一つ 頑張ってみようと想うんだ
「届かなくてもいい」と言う。
でも、その前には、「気づいてくれているだろうか?」がある。どうも完全には、届かなくてもよくない。応援したい。
でも、応援している自分のことにも気づいてほしい。
この二つが同時にある。それでも面白いのは、相手を頑張らせるだけでは終わらないところだ。あなたが頑張っているなら、
僕だって 何か一つ 頑張ってみよう
と言う。応援しているつもりの側が、もう相手から力をもらっている。だからこの歌の「応援」は、最初から少し一方通行ではない。二番になると、歌は街のスーツ姿から、もっと深いところまで想像し始める。
知らない街 スーツを着て
知らない人に 自分をさらけ出す
時に傷つき 溜め息も出て 疲れ果てる
さらに、
緊張して 不安は募り 結果を待つばかりの夜
疲れてるのに 眠れなくて
明日も 朝 早いのに 眠れなくて
と、夜の眠れなさまで描く。もちろん、この人が本当にそうだったかは歌詞からは分からない。かなり想像している。そして想像した相手に向かって、
あなたはどうして 自分の将来のためといえども
こんなに頑張っているんだろう?
と尋ねる。将来のためなら頑張る理由にはなりそうなものなのに、「といえども」。それでも、そこまでしなくていいじゃないか、と言いたいらしい。そして、とうとう断定する。
遊びたい時にも 遊べない
休みたい時にも 休めない
それは不幸だ
どんな 御託を並べても
やっぱり それは不幸だ
ずいぶん強い。「不幸だ」。しかも一度では足りず、「やっぱり それは不幸だ」。相手が何を言っても聞かなそうな勢いである。他人の苦労を「将来のためだから」と美化したくない、という気持ちは分かる。
でも、その人が何を幸福と感じるかまでこちらが決め始めると、話は少し怪しくなる。この歌は、その怪しさを消さない。むしろ少しあとで、自分からブレーキを踏む。その前に、妙な一行がある。
夜を徹して 身を削られる 思いをしている間にも
僕は 夢を見ているんだなぁ
相手は眠れない。僕は夢を見ている。まずは、その対比に聞こえる。
でも「夢を見る」は、眠って見る夢だけではない。
将来の夢を見ている、とも読める。相手が現実の就職活動に身を削っているあいだ、自分はまだ自分の夢を見ている。「だなぁ」という語尾もいい。断言というより、今そこで自分の姿に気づいた感じがする。そして、ようやくこの問いが出る。
頑張れ!というのは無責任かな?
ここまで散々「頑張っている」「不幸だ」と相手について言ってきて、やっと立ち止まる。無責任かな。たぶん、少しは無責任なのだと思う。代わりに就職活動をしてあげることはできない。疲れも不安も引き受けられない。
それでも、
こんなにあなたのことを想っていること
気づいてくれないだろうか?
きっと 気づかなくてもいい
僕は 僕なりに何か一つ成果を挙げるから
となる。最初にも「気づいてくれているだろうか?」と言っていた。また言っている。
そしてまた、「気づかなくてもいい」と言い直す。この往復が、かなり正直だ。気づいてほしい。いや、別に気づかなくてもいい。でも本当はちょっと気づいてほしい。
その代わり、自分も何かをやる。最初は、
何か一つ 頑張ってみようと想うんだ
だった。最後には、
何か一つ成果を挙げるから
になる。「頑張る」だけでなく、成果まで出すと言う。相手へ送る応援を、自分の行動へ変えようとしている。そこまでなら、かなり爽やかに終われそうである。
ところが、この歌は最後にもう一度ややこしくなる。
遊びたい時にも 遊べない
逢いたい人にも 逢えない
それは不幸だ マッチ売りの少女だ
いたたまれない程の 不幸だ
一回目は、「休みたい時にも 休めない」。二回目は、「逢いたい人にも 逢えない」。ここで急に、就職活動一般の忙しさから、誰かに会えない話へ近づく。しかも主語は書かれていない。あなたが会いたい人に会えないのか。
僕があなたに会えないのか。どちらとも取れる。そして突然、「マッチ売りの少女だ」。大げさである。就職活動をしている人を、凍える街角のマッチ売りの少女にしてしまう。
しかも、「いたたまれない程の 不幸だ」。ものすごく不幸だと言い切る。この過剰さが、かえって気になる。ここまで来ると、歌っている側が本当に就職活動そのものだけを心配しているのか、少し怪しくなる。会えない。
届かない。気づいてほしい。自分も何か成し遂げたい。その寂しさまで「不幸だ」という言葉の中へ混ざっているように聞こえる。
だから「頑張れ!というのは無責任かな?」という一行は、この歌の中で妙に重い。相手の気持ちを全部分かったつもりにはなれない。それでも、思っている。
何か返したい。自分も動きたい。そして、できれば少しは気づいてほしい。ずいぶん自己都合も混じった応援である。でも、その自己都合まで隠さなかったから、この歌はただの「頑張れソング」にはならなかった。
面白いのは、応援される側の本人が「就活は意外と楽しい」と話していたことだ。それでも歌う側は、相手を大変な人として見続けた。現在のみゅーはそこへ「不幸なのは僕の方だったんだ」「マッチ売りの少女は僕の方だったんだ」とブーメランを返している。応援の中へ、自分の会えなさや寂しさが入り込んでいた。その勝手さまで残した方が、この曲には正直だと思う。
制作背景
みゅー自身がまだ就職活動を経験していない時期、街のリクルートスーツ姿や、就職活動中だった部活動の先輩を見ながら想像して書いた曲。会う機会が減った先輩に何もしてあげられない中、自分にできることとして音楽を作ることを選んだ。本人は現在「何もできない僕の、僕なりの成果が音楽だった」と振り返っている。みゅー本人による詳しい制作記録は、NOTES「制作秘話」で読めます。
Mutant Music史から見ると
「就職活動」を「椅子と彼女」と並べると、同じ先輩がずいぶん違う位置にいる。「椅子と彼女」では、その人は未来の「帰る場所」にいた。イスに座り、僕の帰りを待っている。かなり都合のいい未来予想図である。ところが「就職活動」では、その人は待っていない。
自分の将来へ向かって忙しく動いている。こちらが会いたくても、会えない。同じ人について、帰ればいてくれる未来、と、自分の人生へ進んでいく現在、の両方を書いた。だから「椅子と彼女」の夢が壊れた、と一本の物語にしてしまう必要はない。むしろ、一人の人を思うとき、自分にとっての「居場所」として見てしまうこともあれば、自分とは別の人生を持つ人として見送ることもある。
その両方が同じアルバムにある。そして、ずっと後の「元気日和」にも、頑張っている誰かへ声を送る場面がある。そこでは、
君はなりたいものになろうと頑張ってるから
僕が背中を押してあげる
だから焦ることはないさ
君は独りじゃない
と歌う。「就職活動」と似ているようで、少し違う。「就職活動」では、なぜそんなに頑張るのか。そんなの不幸じゃないか。と、相手の努力そのものを疑っていた。
「元気日和」では、少なくとも歌詞の上では、「なりたいものになろうと」という相手自身の方向を先に置いている。だから焦らなくていい、と言う。でも、これを「応援の仕方が上手になった」という話にする必要はないと思う。「就職活動」には、この曲にしかないものがある。応援しているのに、相手本人より自分の方が相手の不幸を信じている。
届かなくてもいいと言いながら、気づいてほしい。相手が頑張っているから、自分も成果を挙げたい。そして最後には、会えない寂しさまで混じってしまう。ずいぶん不純な応援である。でも、人を応援するときの気持ちなんて、本当にそんなにきれいなのだろうか。
相手のためと、自分のため。励ましたいと、振り向いてほしい。その境目は、思っているより曖昧なのかもしれない。「就職活動」は、それを解決しない。
途中で一度、
頑張れ!というのは無責任かな?
と聞く。そして答えない。そこが、この歌にはよく似合っている。
クレジット
- 作詞
- みゅー
- 作曲
- みゅー