椅子と彼女
人をイスに喩える。文字にすると、けっこう危ない。
見た目でも、色でも、値段でもなく、「座り心地」でイスを選ぶ。それをそのまま人間に移して、今度は顔でも性格でもなく「居心地」で人を選ぶ。ずいぶん乱暴なアナロジーなのだけれど、この乱暴さを最後まで押し切ったところに、この歌のおかしさと切実さがある。
作品情報
- 収録作品
- 1st album『真実の口』
- Track
- 2
- 制作
- 2006年2月
- 初出
- 2006年9月4日
- クレジット
- 作詞: みゅー/作曲: みゅー
歌詞
19歳の誕生日 僕はイスを買った
見た目じゃなく 色でもなく 値段でもなく
いくつもいくつも 試してみて
一番 座り心地のいいのを買った
一番 シンプルなやつだった
これまで 色んなイスに 座る機会があった
自動車 電車 飛行機
利用者の体を いたわる工夫があった
ファミレス 教室 図書館
でも 僕には帰る場所がある
どんなに古びて ギシギシ言っても
僕の帰りを待つ そのイスが
一番 落ち着く場所だ
それから何年かして 一人の女性に出会った
見た目じゃなく 顔でもなく 性格でもなく
何度も何度も 話してみて
一番 居心地のいい人を見つけた
一番 シンプルな人だった
これまで 色んな人に 出会ってきた
バイト 合コン 学校
正直 心惹かれた人もいた
忘れることのできない過去
でも 僕には帰る場所がある
無条件で 未来を信じられる
僕の帰りを待つ その人が
一番 落ち着く場所だ
そう 僕には帰る場所がある
彼女が イスに座って 微笑んでいる
一番 安らげる イスと彼女が
僕の帰りを 待ってるんだ
一番 落ち着く場所が
僕の帰りを 待ってるんだ
曲を読む
始まりは、人生の大事件ではない。買い物の報告である。
19歳の誕生日 僕はイスを買った
見た目じゃなく 色でもなく 値段でもなく
いくつもいくつも 試してみて
一度しかない19歳の誕生日に買うものがイス。記念品としては地味である。
でも、そのおかげでイスは最初から大げさな比喩として登場しない。まずは座るものだ。「見た目」「色」「値段」は、座る前から比較できる。でも「座り心地」だけは、自分の身体を実際に載せてみないと分からない。
何脚も試した結果、
一番 シンプルなやつだった
というのも面白い。「一番」と言えば、普通は何かが秀でている感じがする。でも選ばれたのは、何かが多いものではなく「シンプルなやつ」だった。目立つものでも高価なものでもなく、身体を置いたときに余計なことが起こらないもの。それが「一番」になる。
そのあと、急にイスの話が広がる。
自動車 電車 飛行機
利用者の体を いたわる工夫があった
ファミレス 教室 図書館
ここで並ぶのはイスの種類ではなく、乗り物や場所である。電車にも、飛行機にも、ファミレスにも、図書館にもイスはある。それぞれちゃんと座れるし、「利用者の体」をいたわる工夫までしてある。でも「利用者」という言葉は、よく考えると妙に他人行儀だ。
そこには誰が座ってもいい。僕のためのイスではない。だから次の「でも」が効いてくる。
でも 僕には帰る場所がある
どんなに古びて ギシギシ言っても
僕の帰りを待つ そのイスが
一番 落ち着く場所だ
公共のイスは身体をいたわってくれる。でも、帰りを待ってはいない。もちろん本当のイスは誰も待たない。そこにあるだけだ。それなのに「僕の帰りを待つ」と書いた瞬間、家具だったイスが、急にこちらとの関係を持ち始める。
しかもまだ、このイスは歌の中で先に歳を取っている。「どんなに古びて ギシギシ言っても」。実際にその椅子がどうなっていくかはまだ分からない。それでも、古びてもそこへ帰るつもりでいる。新品であることより、何度でもそこへ戻れることの方が価値になっている。
そして二番になると、ほとんど同じ文章が人間相手に繰り返される。
それから何年かして 一人の女性に出会った
見た目じゃなく 顔でもなく 性格でもなく
何度も何度も 話してみて
「見た目/色/値段」が、「見た目/顔/性格」になる。ここでちょっと引っかかる。顔を基準にしない、までは分かる。でも「性格でもなく」とまで言ってしまう。では何を見て人を選ぶのか。
答えが、
一番 居心地のいい人を見つけた
一番 シンプルな人だった
である。「性格」はその人の側にあるものとして説明できる。でも「居心地」は一人では成立しない。自分がその人の隣にいて、初めて分かる。つまり、いい人を探しているというより、その人と一緒にいるときの自分がどうなるかを見ている。
そこまでは、なかなかいい話だ。ただ、「シンプルな人」と言い始めると、また少し危ない。イスならシンプルでいい。でも、人間をシンプルと言っていいのか。しかもその人にはその人の事情も、過去も、未来もあるはずだ。
歌はそんなことにはあまり構わず、椅子で成功した語彙を、そのまま人間にも適用してしまう。この強引さが、若い。そして、だからこそ面白い。さらに、
これまで 色んな人に 出会ってきた
バイト 合コン 学校
正直 心惹かれた人もいた
忘れることのできない過去
と続く。「バイト 合コン 学校」と、人ではなく出会った場所が並んでいたところへ、急に「忘れることのできない過去」が混ざる。場所の列挙だったはずなのに、ひとつだけ時間が入り込んでくる。色んな人に出会った、とまとめようとしているのに、どうも一つ、まだ「色んな人」の中へ片付けられないものがあるらしい。それでも、もう一度「でも」と言う。
でも 僕には帰る場所がある
無条件で 未来を信じられる
僕の帰りを待つ その人が
一番 落ち着く場所だ
ここで「無条件」が出てくる。条件をよく吟味してイスを買った歌なのに、人については最後に条件がなくなる。見た目でもない。顔でもない。性格でもない。
それどころか、未来を信じるための根拠すら要らない。「無条件で 未来を信じられる」。ずいぶん大きな言葉だ。ただ、その未来は二人でどこかへ出かけていく未来としては描かれない。
僕の帰りを待つ その人
なのである。動くのは僕で、待つのは彼女だ。これは安らかな家庭のイメージとも読めるし、自分が安心して帰るために、相手にはそこにいてほしいという、かなり身勝手な願いにも読める。彼女がどこへ行きたいのかは、この歌には書かれていない。そして最後になって、イスと彼女がようやく同じ画面に入る。
彼女が イスに座って 微笑んでいる
一番 安らげる イスと彼女が
僕の帰りを 待ってるんだ
ここがいい。もし本当に「イス=彼女」というだけの比喩なら、最後に二つを並べる必要はない。
題名だって「椅子のような彼女」ではない。
「椅子と彼女」だ。
似た形を与えられているけれど、同じものではない。
身体を預けられるイスと、未来を預けられる人。その二つが同じ風景の中にあるとき、初めて「一番 落ち着く場所」になる。だから、この歌で一番気になるのは、結局イスが何のメタファーなのか、ではないのかもしれない。むしろ「待ってる」だ。帰る場所は、ただ存在しているだけでは足りない。
僕が帰るまで、そこにあってほしい。そんな願いを、イスと人の両方に託している。
最初から椅子が高度な象徴だったわけではなく、本当に椅子と彼女が同じ画面にいた。そこから「帰る場所」や人との居心地へ話が広がっていく。現在のみゅー自身も「結局イスってなんのメタファーだったんだろう?」とまだ考えている。さらに実物の椅子は十年ほど使ってもそれほどギシギシしなかったらしい。歌の方が、椅子より先に老後を心配していた。
制作背景
歌詞から先にできた曲で、誕生日に本当に椅子を買い、自分で抱えて帰った経験が出発点になっている。後日、憧れていた先輩がアパートへ遊びに来て、翌朝その椅子へ座っているのを見た瞬間に「ズッキューンときた」。音作りでは、エレアコへエフェクトをかけてエレキのような音を作り、借り物のベースや探り探りのドラムも使っていたという。みゅー本人による詳しい制作記録は、NOTES「制作秘話」で読めます。
Mutant Music史から見ると
後から作品を並べてみると、「椅子と彼女」で長く残ったのは、イスという比喩そのものより、「帰る場所」という言葉だったように見える。まず、同じ先輩は後の「就職活動」にも登場する。「椅子と彼女」では、彼女はイスに座り、僕の帰りを待つ。ところが「就職活動」になると、その人は自分の将来へ向かって動いている。会いたくても、「就活が忙しいから」となかなか会えない。
「椅子と彼女」が描いた、帰ればそこにいてくれる未来と、現実に自分の人生を進んでいく一人の人間。当然ながら、きれいには重ならない。これは「椅子と彼女」の夢が間違っていた、という話ではないと思う。
そもそもこの曲は、
無条件で 未来を信じられる
と歌っていた。
根拠があるから信じるのではない。
現実がそうなると保証されたからでもない。まだ存在しない場所を、先に信じている。だからこそ、歌の中ではあんなに安らげたのだろう。そしてさらに時間がたつと、「帰る場所」という言葉そのものが少し不安定になる。
「インスタントライフ」では、
新しい暮らしの中でも 僕が 帰る場所は まだあるかな?
と歌う。「僕には帰る場所がある」。そう言い切っていたものが、「まだあるかな?」になる。前者が幼く、後者が大人になった、という単純な話ではない。
「椅子と彼女」は、まだ見えない未来の中に帰る場所を先に作った歌だった。「インスタントライフ」は、暮らしも人も変わっていく中で、その場所がまだ残っているかを確かめる歌になった。同じ問いに違う答えが出たというより、同じ「帰る場所」を、その時々で必要な形に作り直している。
そうやって後から聞き返すと、「椅子と彼女」の
僕には帰る場所がある
という一言は、単なる幸福の宣言には聞こえなくなる。帰る場所が本当にあった、というより、そういう場所がある未来を、一度は本気で信じてみた。十九歳で買ったイスから、そこまで話を広げてしまった。なかなか大したイスである。
クレジット
- 作詞
- みゅー
- 作曲
- みゅー