Go Up In The Smoke

「もういいや」と言ったすぐあとに、「もう少しだけ」と言う。

この歌は、ずっとそれをやっている。

終える。止めた。もう駄目だ。分かっていた。時間は待ってくれない。

そこまで言っておいて、火だけはまだ消さない。

作品情報

Track
6
制作
2005年9月
初出
2006年9月4日
クレジット
作詞: みゅー/作曲: みゅー

歌詞

人懐っこい 笑顔 ひと夏の恋
朝顔のように 一瞬だけの栄華を
描いた 哀しい映画の ストーリー

きっと僕の声は届かない そっと待つのさ
君の返事を 一蹴された未来を
描いた 楽しいはずが 独り

とっ散らかった部屋に待たされて
どっちが勝ったとか 取り沙汰される
どちらかといえば 僕は 負けちゃった方だ
まっぴらだった これ以上は

終えよう もういいや もう止めたんだ
こうなることも分かっていたんだ
今更 足掻いても 無駄 無駄
止めよう もういいや もう慣れたんだ
どうすることもできないんだ
時間って奴は待ってくれないんだ
でも 後少し もう少しだけ 燃やしていたい

一目惚れだった 笑顔 人知れず去る
アパートを 思うに すれ違っても 知らん顔
もがいた 苦しい最後の希望に

いっそ何処かに行こうじゃない?
じっと見つめた 君のイメージを
一周したのさ ブラリと
磨いた 新しい靴で 一人

街のどっかで ヤニばっか吹かして
待ち望んだが いやに茶化される
間違いだと気づき また着火ライター
真っ昼間から 一人泣いた

「おはよう」もう昼だ! もう怯んだんだ
言いかけて飲み込んだ今
今言ったら 我慢したのが 無駄 無駄
ごめんよ もう駄目だ もう意味ないんだ
追いかけて止めたんだ 暇人扱いも嫌
そして また一人 もう一人と
消えてゆく

終えよう もういいや もう止めたんだ
こうなることも分かっていたんだ
今更 足掻いても 無駄 無駄
ごめんよ もう駄目だ 疲れ果てたんだ
命懸けて 君に恋したんだ
ただそれだけが まだ まだ
認めよう それでいいよ
それが答えだ!
どうすることもできないんだ
時間を止めることはできないんだ
でも後少し もう少しだけ
燃やしていたい 情熱を 愛情を
消えていく 炎が 煙に変わって
空へと 消えていく

曲を読む

最初から、言葉が妙によく転がる。

人懐っこい 笑顔 ひと夏の恋
朝顔のように 一瞬だけの栄華を
描いた 哀しい映画の ストーリー

「笑顔」から「朝顔」。「栄華」から「映画」。意味がつながるより先に、音が次の言葉を連れてくる。人懐っこい笑顔に始まったひと夏の恋が、朝顔になり、一瞬の栄華になり、それを描いた映画になる。一つの言葉が次の像へ滑っていく。

しかも、まだ恋の話を始めたばかりなのに、三行目ではもう「哀しい映画」だ。始まった瞬間から、語っている側は結末を知っている。次の三行でも、同じことが起きる。

きっと僕の声は届かない そっと待つのさ
君の返事を 一蹴された未来を
描いた 楽しいはずが 独り

「きっと」と「そっと」。返事を待っているのに、頭の中ではもう「一蹴された未来」を描いている。まだ答えは来ていない。

でも、想像の中では先に振られている。

「楽しいはずが 独り」。この「はず」が妙に痛い。本来なら二人で始まるはずだった物語を、一人で先に最後まで上映している。そして、恋は突然、勝負になる。

とっ散らかった部屋に待たされて
どっちが勝ったとか 取り沙汰される
どちらかといえば 僕は 負けちゃった方だ
まっぴらだった これ以上は

ここは意味を追うより、口に出した方が早い。「とっ散らかった」。「どっち」。「取り沙汰」。「どちらか」。

言葉がひっかかりながら前へ進む。その勢いで、

僕は 負けちゃった方だ

と来る。

「負けた」ではない。

「どちらかといえば」「負けちゃった方」。ずいぶん遠回しである。負けを認めているのに、言い方だけ少し軽い。笑って済ませたいようでもあり、本気で「負けた」と言うのがまだ嫌なようでもある。

だから、その直後の

まっぴらだった これ以上は

が効く。軽口を叩いていたところで、急に本音が顔を出す。そしてサビ。

終えよう もういいや もう止めたんだ
こうなることも分かっていたんだ
今更 足掻いても 無駄 無駄
止めよう もういいや もう慣れたんだ

「終えよう」。これから終える。そのすぐあとに、「もう止めたんだ」。もう終わった。時制まで先走っている。

まだ終えている途中なのに、言葉だけ先に終了済みにしてしまう。「もういいや」も何度も出てくる。十分だ。これ以上はいらない。そういう「もう」である。

ところが、数行あとには別の「もう」が来る。

どうすることもできないんだ
時間って奴は待ってくれないんだ
でも 後少し もう少しだけ 燃やしていたい

もういい。

でも、もう少し。

同じ副詞が、終了と延長の両方を担当している。ここが、この曲でいちばん好きなところの一つだ。頭ではもう答えが出ている。時間は待ってくれない。どうすることもできない。

だから終わる。理屈は完全に通っている。それでも「でも」が一つ入るだけで、あと少し。もう少しだけ。になってしまう。

正本では「後少し」と「もう少しだけ」の間に全角の空白が残っている。これが意図した間なのかどうかは分からないので、そのままにしておく。ただ、言葉としては確かに一度言い直している。あと少し。いや、もう少しだけ。

火を消さないための言い換えである。二番に入ると、一番で使った音まで少しずつ姿を変える。

一目惚れだった 笑顔 人知れず去る
アパートを 思うに すれ違っても 知らん顔
もがいた 苦しい最後の希望に

一番には「笑顔」「朝顔」「描いた」があった。今度は「笑顔」が「知らん顔」になり、「描いた」は「もがいた」になる。同じような響きを残したまま、状況だけが悪くなる。言葉遊びが飾りではなく、前半の景色を少しずつ壊しながら二番へ運んでいる。そのあと、どこかへ出かけようとする。

いっそ何処かに行こうじゃない?
じっと見つめた 君のイメージを
一周したのさ ブラリと
磨いた 新しい靴で 一人

何処かへ行こう。新しい靴まで履いた。なのに「一周」している。出発したのに、回って戻ってくる。しかも一緒にいるのは「君」ではなく「君のイメージ」だ。

新しい靴だけが新しい。歩いている方は、まだ同じところにいる。一番の最後には「独り」。ここでは「一人」。この書き分けが意図的だったかは分からない。

だから意味を固定する必要はないと思う。ただ、どちらの「ひとり」も正本には残っている。そして、煙が出てくる。

街のどっかで ヤニばっか吹かして
待ち望んだが いやに茶化される
間違いだと気づき また着火ライター
真っ昼間から 一人泣いた

「どっか」。「ばっか」。「いやに」。「間違い」。「また着火」。

言葉が次の言葉へ引っかかりながら進む。本人が現在「階層横断的に散りばめられた言葉遊び」と自画自賛しているのも、ここまで来ると分からなくはない。特に、

間違いだと気づき また着火ライター

がいい。間違いだと気づいた。普通なら、そこで止める。

でも、また火をつける。

この曲は何度も同じことをする。答えが分かったあとに、行動だけが一回余る。終わると分かったあとに、もう一本。その次には、時間そのものまでずれる。

「おはよう」もう昼だ! もう怯んだんだ
言いかけて飲み込んだ今
今言ったら 我慢したのが 無駄 無駄

言おうと思っていた「おはよう」は、言えないまま昼になった。そして「今」が二回続く。言いかけて飲み込んだ今。今言ったら。「今」こそ言う瞬間のはずなのに、その今がまた言わない理由になる。

この歌では時間が前へ進むほど、決断が遅れていく。だから最後に、

ごめんよ もう駄目だ 疲れ果てたんだ
命懸けて 君に恋したんだ
ただそれだけが まだ まだ
認めよう それでいいよ
それが答えだ!

と来る。「命懸けて」という、かなり大きな言葉。そのあとに、「ただそれだけ」。

恋が実ったわけではない。

君を手に入れたわけでもない。ただ、恋をした。そこだけを残そうとする。でも、

ただそれだけが まだ まだ

は、文として少し宙に浮いている。「まだ」が何に続くのか、きれいには決まらない。答えは出した。それでも、言葉の尻尾だけはまだ残っている。

そしてとうとう、

認めよう それでいいよ
それが答えだ!

と言い切る。ここまで来れば、本当に終われそうだ。

ところが、やっぱり次に来るのは、「でも」。

どうすることもできないんだ
時間を止めることはできないんだ
でも後少し もう少しだけ
燃やしていたい 情熱を 愛情を
消えていく 炎が 煙に変わって
空へと 消えていく

答えを認めても、感情は即座には止まらない。それを無理に止めず、炎のままもう少し燃やす。やがて炎は煙になる。煙も消える。でも炎から煙へ変わるあいだだけは、何かが燃えていたことが見える。

題名の「Go Up In The Smoke」は、最後になってようやく景色になる。この歌が描いているのは、恋が終わった瞬間というより、そのあとだと思う。終わったと分かった。それでいいとも言った。

なのに、まだ少し燃えている。

その数分を、ずいぶん長く歌っている。

現在のみゅーは、当時外から辛辣に見ていた集団について、本当は自分も中へ入りたかったのだと読み直している。ただし、その羨望を制作時から自覚していたとは限らない。歌詞に残ったのはもっと軽口めいた敗北宣言で、終わる、泣く、また火をつける、という散らかった動きだ。その散らかりを後から整えすぎない方がいい。

制作背景

「Maricha」と同じ人物をめぐる出来事につながる曲。新入生だった相手について情報を集め、共通の知人や連絡先を探す過程を、現在のみゅーは「情報収集だっ!」「戦略頭脳ゲーム」のように楽しんでいたと振り返っている。歌詞については「韻を踏むというのはこういうこと、ここに極めり」とかなり強気で、言葉の音を作品の大きな魅力として自負している。みゅー本人による詳しい制作記録は、NOTES「制作秘話」で読めます。

Mutant Music史から見ると

「Go Up In The Smoke」は、「Maricha」とかなり近い場所から生まれている。同じ人物と出来事につながっている。ただし、二曲のカメラは違う方向を向いている。

「Maricha」では、変化した相手を見て、CAMPが彼女を変えた。以前の彼女がいなくなった。と歌った。「Go Up In The Smoke」では、CAMPという名前そのものは出てこない。

代わりに出てくるのは、届かない声。待っている自分。勝ち負け。負けちゃった方の僕。そして、人知れず去ることだ。

同じ出来事を、「相手が変わってしまった」という話にもできたし、「自分が負けて去った」という話にもできた。どちらが本当だったのか、一つに決めなくてもいいと思う。同じ人間が、同じ時期に、両方のことを思っていた。その二つが別々の歌になった。それだけで十分に面白い。

そしてずっとあと、「ともしび」では、火の置き場所が変わる。「Go Up In The Smoke」で燃えていたのは、情熱や愛情だった。燃え終われば煙になり、空へ消えていく。「ともしび」では、自分自身が消えそうな小さな灯火として歌われる。だからといって、火の比喩が発展した、とは言いたくない。

燃やしたいものが違うのだ。恋が終わるまでの数分を延ばす火と、自分がまだ消えずにいることを確かめる火。同じ「燃える」でも、必要なときが違う。「Go Up In The Smoke」には、この曲にしかない妙な時間がある。もういいや。

もう止めた。それが答えだ。そこまで言った。

なのに、もう少しだけ。

その「もう少し」のあいだだけ、まだ煙になる前の炎がある。終わることを理解した瞬間と、本当に終わる瞬間は、どうも同じではないらしい。この曲は、その間をずっとウロウロしている。そこがいい。

クレジット

作詞
みゅー
作曲
みゅー