しあわせ

笑っている。

なぜかは分からない。

でも、見ているとこちらまで楽しくなる。

泣いている。やっぱり理由は分からない。

でも、こちらまで悲しくなる。

この歌は最後まで、君のことを分かったとは言わない。それなのに、

あぁ 君の幸せは 僕の幸せ

とは言えてしまう。分からないことと、分かち合えることは、どうやら別らしい。

作品情報

Track
10
制作
2007年9月
初出
2008年3月17日
クレジット
作詞: みゅー/作曲: みゅー

歌詞

何が楽しくて 笑っているのかは 分からない
だけど 君を見ていると 僕まで楽しくなってくるよ
あぁ 君の楽しみは 僕の楽しみ

何が悲しくて 泣いているのかは 分からない
だけど 君を見ていると 僕まで悲しくなってくるよ
あぁ 君の悲しみは 僕の悲しみ
あぁ 君よ 泣かないで 笑顔を見せて

今日も 笑ったり 泣いたりできるのは 幸せなことなんだなぁ
君の 笑顔も 涙も そのすべてが 僕の宝物だよ

何が嬉しくて はしゃいでいるのかは 分からない
だけど君を見ていると 僕まで嬉しくなってくるよ
あぁ 君の幸せは 僕の幸せ
あぁ 君が側にいる! それが幸せ

それが しあわせ

曲を読む

最初の三行は、とても単純だ。

何が楽しくて 笑っているのかは 分からない
だけど 君を見ていると 僕まで楽しくなってくるよ
あぁ 君の楽しみは 僕の楽しみ

まず、

分からない

と言う。ただし、君が笑っていることが分からないわけではない。楽しそうなのも見えている。分からないのは、

何が楽しくて

なのか。なぜ笑っているのか。何をそんなに楽しいと思っているのか。そこまでは分からない。普通なら、相手を理解するために理由を聞きたくなるところかもしれない。

でもこの歌は、そこで理由を探しに行かない。

だけど

で、そのまま次へ行く。分からない。だけど、見ていると自分まで楽しくなる。理解の穴を埋めるのではなく、穴が空いたまま感情だけがこちらへ来る。

そして、

君の楽しみは 僕の楽しみ

になる。かなり大胆である。君が何を楽しんでいるか分からないのに、その楽しみは僕の楽しみだ、と言ってしまう。

相手の感情を全部理解したという話ではない。

むしろ、分からないことを最初に認めた上で、君が楽しそうなら、それだけで自分も楽しい。という、ずいぶん簡単な関係式を作っている。次の三行は、ほとんど同じ形だ。ただし、感情が反対になる。

何が悲しくて 泣いているのかは 分からない
だけど 君を見ていると 僕まで悲しくなってくるよ
あぁ 君の悲しみは 僕の悲しみ

また、

分からない

である。理由は分からない。でも今度はこちらまで、

悲しくなってくる

楽しい時だけ一緒になるのではない。

涙もこちらへ来る。そして、

君の悲しみは 僕の悲しみ

と言う。一番と文型がほとんど同じなので、楽しみ。悲しみ。が同じ場所に入る。この歌にとって、共有する価値があるのは楽しい感情だけではないらしい。

ただ、その直後に少し困ったことを言う。

あぁ 君よ 泣かないで 笑顔を見せて

君の悲しみは僕の悲しみ。そこまでは一緒に悲しむ話だった。ところが、

泣かないで

と言う。笑ってほしい。悲しみを共有すると言ったそばから、悲しみを終わらせたがる。どっちなんだ。たぶん、どっちもなのだ。

君が悲しいなら、自分も悲しい。だからこそ、その悲しみがなくなってほしい。共感することと、その状態が続いてほしいと願うことは、同じではない。この歌はそこを理屈で整理しない。さらに次の二行では、さっきの「泣かないで」を少し裏切る。

今日も 笑ったり 泣いたりできるのは 幸せなことなんだなぁ
君の 笑顔も 涙も そのすべてが 僕の宝物だよ

さっきは、

泣かないで

だった。今度は、

泣いたりできるのは 幸せなこと

になる。しかも、

涙も

宝物

である。泣かないでほしい。でも涙も大切。きれいな論理にはなっていない。でも、人を大切に思う時の気持ちは、案外このくらい矛盾しているのかもしれない。

苦しまないでほしい。

でも、苦しんだ君まで否定したくはない。

笑顔が見たい。

でも、涙まで含めて君だと思う。

その両方がある。そしてここで重要なのは、

今日も

だ。一度だけ笑った。一度だけ泣いた。

という特別な出来事ではない。

今日も。日々の中で、笑ったり。泣いたり。できる。

そのこと自体を、

幸せなことなんだなぁ

と発見する。「幸せとはこういうものだ」

という大上段の定義ではない。

なんだなぁ

である。見ていて、ああ、これって幸せなんだなぁ、と気づいたくらいの温度だ。題名は「しあわせ」だけれど、この歌は最初から幸福論を持って始まったわけではない。誰かの表情を見ている途中で、幸せという言葉にたどり着く。そして最後の連では、最初の形がもう一度戻る。

何が嬉しくて はしゃいでいるのかは 分からない
だけど君を見ていると 僕まで嬉しくなってくるよ
あぁ 君の幸せは 僕の幸せ

楽しい。悲しい。そして今度は、嬉しい。笑う。泣く。

はしゃぐ。表情も少し大きくなる。でもやっぱり、

分からない

理由は最後まで分からない。そして自分も、

嬉しくなってくる

ここまでは一番、二番と同じ形だ。ところが三行目だけ、少し違う。一番は、

君の楽しみは 僕の楽しみ

二番は、

君の悲しみは 僕の悲しみ

だった。なら三番は、君の嬉しさは僕の嬉しさ、でもよさそうだ。でも実際には、

あぁ 君の幸せは 僕の幸せ

になる。「嬉しい」から、「幸せ」へ言葉が大きくなる。目の前の一つの感情から、その人が幸せであること全体へ広がる。しかも、君が幸せなら、僕も幸せ。かなり簡単な式である。

何が嬉しいのかさえ分からないのに、その幸せを自分の幸せとして受け取る。理解してから共有する、という順番ではない。共有してしまってから、そうか、これが幸せなのか、と気づいているように見える。そして、とうとう答えが出る。

あぁ 君が側にいる! それが幸せ

かなり単純だ。君が何を考えているか。なぜ笑っているか。なぜ泣いているか。なぜはしゃいでいるか。

結局、何一つ説明されない。でも、

君が側にいる!

それだけは分かる。しかも感嘆符まで付く。分からないことだらけの相手について、唯一はっきり言えるのが距離である。側にいる。

そして、

それが幸せ

と結論する。

理由を理解し尽くしたから幸せなのではない。

悲しみを取り除けたからでもない。いつも笑顔でいてくれたからでもない。笑う。泣く。はしゃぐ。

その全部を見られるところに、君がいる。それが幸せ。そして曲は、もう一度だけ同じことを言う。

それが しあわせ

ほとんど同じ文である。でも少し違う。一つ前は、

それが幸せ

だった。今度は、

それが しあわせ

になる。「幸せ」が、ひらがなの「しあわせ」になる。題名と同じ表記だ。感嘆符もない。君が側にいる!

それが幸せ!と発見したあとで、少し間を置くように、それが、しあわせ。と言い直す。大きな説明はもう要らない。何が楽しいのか。

何が悲しいのか。何が嬉しいのか。分からないまま。笑顔も。涙も。

全部残したまま。最後に残るのは、

しあわせ

という、ひらがなの五文字だけだ。

発想の入口は赤ちゃんだった。でも完成した歌の「君」を、その赤ちゃん一人へ固定する必要はない。録音の最後に自然と出た「ありがとう」も歌詞正本には入っていない。歌詞の外側でこぼれた声として残っている。その距離がいい。

制作背景

帰省から戻る飛行機の中で、斜め前にいた赤ちゃんの表情を見て生まれた曲。笑ったり泣いたりする様子から最初のフレーズが出て、そのまま本人曰く「一気に完成した」。機内では録音できないため、降りるまで頭の中で何度も繰り返し、着陸後すぐメモしたという。間奏のストリングスにはThe Beatles「The Long and Winding Road」を参照した。みゅー本人による詳しい制作記録は、NOTES「制作秘話」で読めます。

Mutant Music史から見ると

赤ちゃんをきっかけに作った曲は、この曲が最初ではない。「新しい命」がある。あの曲では、

生まれることが どういうことかは 僕にはまだよくわからないけど

と歌った。まだ生まれていない子どもを待ちながら、生まれるとは何なのか、自分にもよく分からない、と言う。「しあわせ」でも、

分からない

が三度出てくる。ただし今度は、生まれること、ではない。目の前の誰かが、なぜ笑うのか。なぜ泣くのか。なぜはしゃぐのか。

が分からない。「新しい命」では、これからやって来る存在が問いを生んだ。「しあわせ」では、すでに目の前にいる存在の変化が問いを生む。どちらも、分からなさを消してから肯定するわけではない。

分からないけれど、大切だ。そこは少し似ている。幸福については、「Thank you,Sunshine」と並べても面白い。あの曲では、

笑った分だけ幸せだ

と言った。笑う。だから幸せ。かなり勢いがある。

「しあわせ」では、

今日も 笑ったり 泣いたりできるのは 幸せなことなんだなぁ

になる。今度は、泣くことまで入る。ただし、笑顔だけを肯定していた歌から、涙まで認められるようになったので成長した、という話にはしない。「Thank you,Sunshine」は、君を見ていると楽しくなってしまう、今が最高に幸せだ、という瞬間の明るさを強く押し出した歌だった。

「しあわせ」は、目の前の誰かが泣けば、自分まで悲しくなる。幸福の測り方が違う。同じ時期の別の場面が、幸せという言葉へ別の入口を作った。そしてアルバムでは、この曲が最後に置かれた。直前には表題曲「Tokyo Walker」がある。

あちらでは、

幸せは Tokyo Walker どんな時も Tokyo Walkerここにある

と歌った。幸せは、ここにある。その「ここ」には、表参道。東京。街を歩く二人。

いろいろ重なっていた。「しあわせ」では、東京の地名が全部なくなる。最後にあるのは、

あぁ 君が側にいる! それが幸せ

である。街でもない。約束の場所でもない。大きな夢でもない。側にいる。

それだけになる。

ただし、この順番も制作順そのものではない。

「しあわせ」は2007年9月の曲で、「Tokyo Walker」は2008年1月から3月の制作とされている。つまり表題曲で街を歩き尽くした末に、幸福を「君が側にいる」へ縮めた、という制作上の順番ではない。

アルバムへ並べた時、結果としてそういう終わり方になった。ここは分けておきたい。そして現在のみゅーの回想によれば、ある時点では、この曲で音楽活動をやめようと思っていた。実際にはその後も曲は作られた。

だから今から見れば、これはMutant Musicの最後の曲ではない。

でも、そのことを知っている現在から、「本当の終点ではなかった」と当時の終わりを無効にする必要もない。その時には、ここで終わろうとした。そして最後に置いた言葉が、

それが しあわせ

だった。しかも、ずいぶん立派な人生の答えを出したわけではない。相手の気持ちは最後まで分からない。泣かないでほしいと言いながら、涙も宝物だと言う。かなり矛盾している。

それでも、側にいる。自分の心も動く。それを幸せと呼んだ。もし本当にここで音楽が終わっていたとしても、ずいぶん小さな、そして妙に開いたままの終わり方だったと思う。

クレジット

作詞
みゅー
作曲
みゅー