In my life
やる気を出す。
勇気を出す。元気を出す。全力を出す。結果を出す。
この歌では、気分も成果もずいぶん簡単に、「出す」。
元気だから動くのではない。
とりあえず元気を出して、乗って、歩いて、道草を食って、ギターを鳴らして、踊る。それでも心の中では、
いつかは弾ける 始まりの予感
まだ「予感」である。外側はもう騒がしい。内側は、まだ始まるかもしれないと思っている。その少し変な時差から、この歌は始まる。
作品情報
- 収録作品
- 4th album『茜空』
- Track
- 1
- 制作
- 作曲2008年6月・作詞2008年9月
- 初出
- 2011年9月4日
- クレジット
- 作詞: みゅー/作曲: みゅー
歌詞
In my life
朝から やる気を出して
たまにはその気になって
端から調子に乗って
訳なく強気になって
ココイチ 勇気を出して
モリモリ 元気を出して
ときめく トレンドに乗って
欲望もむき出しにして
In my life
雨なら 電車に乗って
晴れたら 原チャに乗って
あちこち歩きまわって
たまには 道草喰って
嫌なこと 忘れちまって
いつもの笑顔になって
一日 全力出して
見事な結果を出して
In my life
頭の中では 心の中では
いつかは弾ける 始まりの予感
朝まで踊ろうよ 悲しいことなど
忘れてしまえばいいね
In my life
桜 春風に乗って
とにかく 陽気になって
ひまわり 大きくなって
夜空に花火が咲いて
秋空 切なくなって
街中 素敵になって
北風 冷たくなって
人肌恋しくなって
In my life
メチャクチャ はしゃぎ回って
爆音でギターかき鳴らして
腹から大声出して
ハチャメチャ 踊りまくって
嫌なこと 忘れちまって
いつもの笑顔になって
そんな君を好きになって
これからヨロシクなって
In my life
頭の中では 心の中では
いつでも聞こえる 始まりの合図
叶わず 零れる あらゆる思いが
切ない心に 溢れているなら
朝まで踊ろうよ 悲しいことなど
忘れてしまえばいいね
In my life
曲を読む
題名が一行だけ置かれる。
In my life
そして、日本語の動詞が一気に流れ込んでくる。
朝から やる気を出して
たまにはその気になって
端から調子に乗って
訳なく強気になって
ココイチ 勇気を出して
モリモリ 元気を出して
ときめく トレンドに乗って
欲望もむき出しにして
全部、終わらない。出して。なって。乗って。して。
文を閉じず、次の動作へ渡し続ける。朝から、
やる気を出して
なのがまず面白い。やる気が出る、ではない。
自分で、出す。勇気も、
出して
元気も、
出して
しまう。気分というより、蛇口から出す何かのような扱いである。さらに、
訳なく強気になって
理由すら要らない。なぜ自信があるのか。そんなことは後回しでいい。強気になってしまえばいい。
端から調子に乗って
トレンドに乗って
同じ「乗る」でも、調子。流行。と、乗る対象がどんどん変わる。自分で正しい方向を慎重に決めてから進む歌ではない。まず乗る。
そして最後には、
欲望もむき出しにして
となる。これもよく見ると、「出し」が入っている。やる気。勇気。元気。
欲望。内側にあるものを、どんどん外へ出していく。そこでまた、
In my life
と題名が一行だけ戻る。説明はない。これが、my life。らしい。次は、実際に外へ出る。
雨なら 電車に乗って
晴れたら 原チャに乗って
あちこち歩きまわって
たまには 道草喰って
嫌なこと 忘れちまって
いつもの笑顔になって
一日 全力出して
見事な結果を出して
雨なら電車。晴れたら原チャ。天気によって手段は変える。
でも、外へ出ることは変わらない。
さらに、
あちこち歩きまわって
目的地だけへ一直線に行くわけでもない。
道草喰って
まで入る。その一方、後半では、
全力出して
結果を出して
である。また「出す」。今度は、気分ではなく、全力。結果。まで出す。
随分なんでも出せる。ただ、その間に一つ重要なものが挟まる。
嫌なこと 忘れちまって
いつもの笑顔になって
新しい自分になろう、ではない。
いつもの笑顔
へ戻る。ということは、笑顔そのものが完全になくなったわけではないらしい。嫌なことを忘れれば、いつもの状態へ戻れる。少なくとも、そう自分に言っている。ところが、これだけ外では動いているのに、サビへ行くと急に内側へ戻る。
頭の中では 心の中では
いつかは弾ける 始まりの予感
朝まで踊ろうよ 悲しいことなど
忘れてしまえばいいね
外では、乗って。歩いて。全力を出して。結果まで出している。
でも、
頭の中では 心の中では
まだ、
始まりの予感
なのである。しかも、
いつかは
だ。今始まった、ではない。
いつか。まだ先である。外側の生活はすでにかなり動いているのに、心はこれから何かが始まりそうだと感じているだけ。そして、
悲しいことなど
の、
など
も少し気になる。悲しいことなんて。そんなもの。と小さく扱おうとしている。
でも歌詞は、悲しくなくなった、とは言わない。
忘れてしまえばいいね
である。忘れよう。それでいいじゃないか。くらいの提案だ。
解決するでも、受け入れるでもない。とりあえず朝まで踊って、忘れる。今はそれでいい。そんな感じがある。
そして再び、
In my life
次は、一年が一気に通り過ぎる。
桜 春風に乗って
とにかく 陽気になって
ひまわり 大きくなって
夜空に花火が咲いて
秋空 切なくなって
街中 素敵になって
北風 冷たくなって
人肌恋しくなって
春。夏。秋。冬。八行で巡る。
でも面白いのは、誰がどうなっているのかが途中から曖昧なことだ。桜が春風に乗る。ひまわりが大きくなる。花火が咲く。そこまでは景色の話らしい。
ところが、
とにかく 陽気になって
誰が?
秋空 切なくなって
秋空が切ないのか。自分が切ないのか。
街中 素敵になって
街全体なのか。見ている側なのか。主語をわざわざ補わないので、季節の変化と、自分の気分と、街の変化が、同じ「なって」の列へ混ざっていく。春なら陽気。秋なら切ない。
冬なら人肌恋しい。どれも、my life。明るい季節だけを選ばない。切なくなることも、誰かが恋しくなることも、同じ一年の中へ入れてしまう。
そこからまた、
In my life
今度は、急に騒がしくなる。
メチャクチャ はしゃぎ回って
爆音でギターかき鳴らして
腹から大声出して
ハチャメチャ 踊りまくって
嫌なこと 忘れちまって
いつもの笑顔になって
そんな君を好きになって
これからヨロシクなって
メチャクチャ。爆音。大声。ハチャメチャ。かなりうるさい。
そしてまた、
嫌なこと 忘れちまって
いつもの笑顔になって
が、そっくり戻る。さっきと同じ方法である。嫌なことがある。忘れる。笑顔になる。
また嫌なことが起きたら、また忘れるのかもしれない。それくらい暫定的だ。
ところが、その直後に、
そんな君を好きになって
が来る。ここは少し変だ。それまで、はしゃぐ。ギターを鳴らす。大声を出す。
踊る。という動作を、自分の生活の実況として読んでいた。でも、
そんな君
と言われた瞬間、今までの無主語の動作が、急に君の姿にも見えてくる。はしゃいでいたのは誰なのか。ギターを鳴らしていたのは誰なのか。僕なのか。君なのか。
二人なのか。歌詞は整理しない。自分の日常だけだったはずの my life に、いつの間にか君が入っている。そして、
これからヨロシクなって
である。普通なら、これからヨロシク。でよさそうだ。でもこの歌は、
なって
を付ける。よろしく、という挨拶まで、陽気になって。大きくなって。切なくなって。と同じ動詞の流れへ押し込んでしまう。
関係の始まりまで、「なって」で運んでいく。また、
In my life
最後のサビでは、最初と似た形が戻る。
でも、かなり変わっている。
頭の中では 心の中では
いつでも聞こえる 始まりの合図
叶わず 零れる あらゆる思いが
切ない心に 溢れているなら
朝まで踊ろうよ 悲しいことなど
忘れてしまえばいいね
最初は、
いつかは弾ける 始まりの予感
だった。最後は、
いつでも聞こえる 始まりの合図
になる。まず、
いつかは
が、
いつでも
へ変わる。いつか起こるかもしれない。から、いつでも聞こえる。へ。
次に、
予感
が、
合図
になる。予感は、自分の中で感じるものだ。合図は、何かが始まる時に届くものだ。そして、
弾ける
だったものが、
聞こえる
になる。未来の可能性だった「始まり」が、音として何度でも聞こえるものへ変わる。かなり前進したようにも見える。
ところが、その直後は、
叶わず 零れる あらゆる思いが
切ない心に 溢れているなら
である。始まりの合図が聞こえる。でも、思いは叶わない。しかも、
零れる
のに、
溢れている
外へこぼれているのか。中に溢れているのか。両方だ。抱えきれないものがある。
だから最後の答えは、新しい哲学にはならない。最初とまったく同じ、
朝まで踊ろうよ 悲しいことなど
忘れてしまえばいいね
である。始まりの予感が、始まりの合図になった。君も現れた。それでも、悲しいものはある。叶わない思いもある。
だから、もう一度踊る。もう一度忘れようとする。この歌の明るさは、悲しみを克服した人の明るさではない。悲しみがまだある人が、やる気を出して。元気を出して。
笑顔になって。ギターを鳴らして。踊って。何度も生活を外側から起動し直している。そして最後に、また一行。
In my life
それだけで終わる。やる気も。切なさも。恋も。叶わない思いも。
全部、my life。どれか一つだけを本当の自分にしない。この反復が、この曲のかなり大事なところだと思う。
大きな再出発の背景があるのに、歌に出てくるのは電車や原チャや道草といった日常だ。しかもAメロは息継ぎがほとんどなく、本人は本当に息切れしている。そのコメントが「また一興」。再生の歌を立派に仕上げすぎない、その生活感がいい。
制作背景
音楽活動からいったん距離を置いた後、歌の上手い人との出会いや新しいバンド構想をきっかけに、再び音楽が生活へ戻り始めた時期の曲。みゅーは「出来た瞬間からこのアルバムの一曲目にと決定していた」と振り返っている。Aメロは本人曰く「もろ、ビートルズのpaperback writer」、サビにはスピッツの影響を感じており、終盤にはもっとオルガンを騒がせる別案もあったが採用しなかった。みゅー本人による詳しい制作記録は、NOTES「制作秘話」で読めます。
Mutant Music史から見ると
この曲の前には、「しあわせ」がある。
現在のみゅーは、「しあわせ」を最後に音楽活動をやめようと思っていたと振り返っている。そのあとに作られたのが、In my life。だから作品史の上では、どうしても、再出発。という言葉が頭に浮かぶ。
しかも本人自身が、「また生きる意味が見つかった」とまで書いている。ただ、この歌を、完全復活しました。もう大丈夫です。という曲にしてしまうと、歌詞とは少し違う。
朝まで踊ろうよ 悲しいことなど
忘れてしまえばいいね
は二度出る。最後には、
叶わず 零れる あらゆる思いが
切ない心に 溢れているなら
まで出る。悲しみは残っている。叶わないものもある。それでも始まりの合図を聞いて、また踊る。だから再出発ではある。
でも、それは悲しみを片づけた後の再出発ではない。
悲しいまま、生活を動かし始める。そういう再開だったように見える。Mutant Musicには、題名に life を持つ曲がすでに二つある。まず、「Life goes on」。
あの曲では、生き方の矛盾や間違いがあっても、生活は続いてしまう。そういう life だった。
次に、「インスタントライフ」。こちらでは、一つの生活が始まり、終わり、また別の生活が始まる。短い単位の反復として life を見た。そして、In my life。
今度は、lifeについて説明するというより、その中身を並べる。やる気を出す。雨なら電車。晴れなら原チャ。道草。
春。夏。秋。冬。ギター。
踊る。誰かを好きになる。三曲とも life という言葉を使うけれど、同じ結論へ向かってはいない。続いてしまう生。始まっては終わる生活。
その生活の中で今日やること。縮尺が違う。だから In my life を、過去の二曲がたどり着いた完成形とはしない。むしろこの曲は、人生を大きく説明することを一度やめて、今日の動詞へ戻った歌に見える。そして、4th album『茜空』は、この曲から始まる。
現在のみゅー自身が、出来た時から一曲目に決めていた、と振り返っている。それも少し面白い。新しいアルバムの最初なのに、大きな宣言文から始めない。
朝から やる気を出して
である。朝起きたところから始まる。そして最後まで、悲しいことは消えない。始まりも、一回きりではない。
最初は、
いつかは弾ける 始まりの予感
最後には、
いつでも聞こえる 始まりの合図
となる。始まりは、一度だけ起きる特別な事件ではなくなる。生活の中で、何度でも聞き直すものになる。音楽をやめようと思ったあとにも、また聞こえた。
明日また嫌なことがあっても、もしかすると聞こえる。そのたびに、元気を出して。笑顔になって。朝まで踊る。何度でも始める。
In my life という題名は大きいけれど、実際に歌われているのは、そのくらいの日々なのである。
クレジット
- 作詞
- みゅー
- 作曲
- みゅー