はじまり
最初は、
そう 今日 僕は 恋に落ちました
最後は、
確かに 今日 僕は 恋に落ちました
である。ほとんど同じ文だ。変わるのは「そう」が「確かに」になることだけ。そのあいだで何をしたかというと、温もりを確かめ、香りを確かめ、自分の胸が高鳴っていることを確かめ、それでも二度、夢じゃないよな、と聞く。恋が始まった日の歌というより、恋が始まったことを現実へ固定しようとする、短い確認作業のような歌だ。
作品情報
- Track
- 1
- 制作
- 2006年12月
- 初出
- 2008年3月17日
- クレジット
- 作詞: みゅー/作曲: みゅー
歌詞
そう 今日 僕は 恋に落ちました
理屈じゃなくても 恋は 素敵なもの
目が覚めたら また ひとりぼっち なんてことはないよな
この手の温もり 髪の香り 胸の高鳴り
夢じゃないんだよな? 夢じゃないんだよな!
確かに 今日 僕は 恋に落ちました
曲を読む
第一声は、少し変わっている。
そう 今日 僕は 恋に落ちました
理屈じゃなくても 恋は 素敵なもの
恋に落ちました
である。
「恋に落ちた!」ではない。
少し丁寧だ。誰かへ報告しているようでもあるし、自分自身へ、はい、今日こういうことが起きました、と言い聞かせているようにも聞こえる。しかも、
今日
と日付を切る。
人生を通じて恋とは何かを語っているのではない。
今日、僕に起きた。その出来事だけをまず置く。ところが二行目では、急に一般論になる。
恋は 素敵なもの
自分一人の出来事から、「恋」という大きな名詞へ飛ぶ。しかも根拠は、
理屈じゃなくても
でいいらしい。なぜ好きなのか。なぜ素敵なのか。説明できなくてもいい。分からない部分ごと肯定する。
かなり幸福な二行に見える。
でも、その幸福は三行目でもう揺れる。
目が覚めたら また ひとりぼっち なんてことはないよな
まず気になるのは、
また
である。
「ひとりぼっちになる」ではない。
また ひとりぼっち
になる。戻る場所としての孤独が、すでにある。今日、恋に落ちた。でも、ひょっとするとこれは夢で、目が覚めたら元の一人へ戻っているのではないか。そう考えてしまう。
しかも、
なんてことはない
と言い切るのではなく、
なんてことはないよな
である。「ないよな?」に近い。誰かへ確認しているのか。自分へ確認しているのか。
とにかく、まだ完全には信じられていない。幸福になったので安心した、とはならない。むしろ幸福になったから、これ、なくならないよな、という怖さが出てくる。そこで証拠を並べる。
この手の温もり 髪の香り 胸の高鳴り
夢じゃないんだよな? 夢じゃないんだよな!
最初の一行には、動詞がない。温もり。香り。高鳴り。三つの感覚だけを並べる。
手で感じるもの。鼻で感じるもの。そして、自分の胸の内側で起きているもの。君がここにいた証拠と、自分が恋に落ちている証拠を、身体から集めているように見える。理屈ではなくてもいい。
だから証明も、論理ではない。
温かかった。香りがした。胸が鳴った。
なら、たぶん夢ではない。
でも、それでも一回では足りない。
夢じゃないんだよな?
もう一度、
夢じゃないんだよな!
同じ文である。変わるのは最後の記号だけ。一回目は、?二回目は、!疑問符から感嘆符へ移る。
いかにも、疑いから確信へ進んだように見える。ただし文そのものは、最後まで、
夢じゃないんだよな
である。「夢じゃない!」にはならない。確認する形は残ったまま、声だけ強くなる。本当に?
本当だよな?本当だよな!そんな感じだ。不安が消えたから確信したのではなく、不安な問いを大声で言い直すことで、なんとか確信の方へ持っていこうとしている。そして最後。
確かに 今日 僕は 恋に落ちました
最初は、
そう 今日 僕は 恋に落ちました
だった。「そう」。から、「確かに」。へ変わる。これだけである。
恋が成就した。これからずっと一緒にいる。明日も大丈夫。そういう新しい情報は何も増えない。
ただ、今日、恋に落ちた。その一点だけは、最初より少し確かになった。面白いのは、最後まで未来を保証しないことだ。「目が覚めたら また ひとりぼっち」という不安に対して、そんなこと絶対にない、とは答えない。明日のことは分からない。
でも今日の温もりはあった。香りもあった。胸も高鳴った。だから、今日、僕は恋に落ちた。そこだけを事実にする。
題名の「はじまり」は、歌詞の中には一度も出てこない。何が始まったのかも、実は一つには決められない。恋が始まった。二人の関係が始まったのかもしれない。
同時に、これが夢ではないかと確かめ続ける時間も始まった。幸せと不安がまだ分かれていない。その最初の数分だけを切り取ったような歌である。
生まれた時には恋の「はじまり」を歌う題名だった。それが後にアルバム冒頭へ置かれたことで、『Tokyo Walker』そのものの「はじまり」という別の仕事まで持つようになった。後から得た役割を、制作時の予定へ戻さないところが大事だと思う。
制作背景
クリスマスイブ、昭和記念公園からの帰り道に、メロディーと歌詞が頭の中へ流れてきて「そのまま歌にしました」という短い曲。同じ帰り道から「独りじゃない」の原型も生まれた。最初から『Tokyo Walker』の冒頭曲として作ったのではなく、いったん「お蔵入り」した後、アルバムの一曲目になった。音楽面ではBeatles風のアレンジを試しており、コーラスは「Because」風だったという。みゅー本人による詳しい制作記録は、NOTES「制作秘話」で読めます。
Mutant Music史から見ると
「はじまり」は、少し変わった経歴の曲である。2006年12月にできた。でも『約束の場所』には入らなかった。そして後に、3rd album『Tokyo Walker』の一曲目になった。だから題名の意味が、制作時とアルバム収録時で少し増えている。
作ったときの「はじまり」は、まず恋の始まりだったはずだ。でもアルバムを再生すると、「はじまり」という題名そのものが、これから始まる『Tokyo Walker』への入口になる。これは最初から仕込んでいた二重構造とは言えない。曲順へ置いたことで、あとから増えた意味である。さらに面白いのは、現在のみゅーによれば、同じ昭和記念公園からの帰り道で「独りじゃない」の原型も生まれていることだ。
「はじまり」では、
目が覚めたら また ひとりぼっち なんてことはないよな
と、幸福になった途端に「また一人になる」可能性を見る。恋を得た歌なのに、孤独という言葉がもういる。そして、その同じ移動の中から、別に「独りじゃない」という題名の曲まで出てきた。
だから、この夜を、恋を手に入れて孤独を克服した夜、と一つの物語へ整える必要はないと思う。嬉しい。浮ついている。でも怖い。一人に戻るかもしれない。
それでも、独りではないとも考える。同じ夜に、そのくらいいろいろあった。むしろその方が自然だ。以前の「明日も君に会える」では、まだ来ていない「明日」の再会が大きかった。次の日にも会えるかを尋ね、その答えに喜ぶ。
「はじまり」は、もっと時間を短くする。
今日
で始まり、最後も、
今日
で終わる。明日は保証しない。むしろ、目が覚めたら一人ではないか、と疑っている。それでも今日起きたことは、今日の身体で確かめられる。手の温もり。
髪の香り。胸の高鳴り。それを一つずつ拾って、「そう」だったものを、「確かに」へ動かす。
大きな変化ではない。
未来の不安も残ったままだ。でも、この一分ほどの歌には、それくらいがちょうどいい。『Tokyo Walker』は、壮大な宣言ではなく、今日、僕は恋に落ちました。という個人的な報告から始まる。しかも本人は、まだそれが夢ではないか疑っている。
ずいぶん頼りないスタートだ。だからこそ、「はじまり」という題名にはよく似合っている。
クレジット
- 作詞
- みゅー
- 作曲
- みゅー