冬の鼓動

雪は、最後までまだ降らない。

その代わり、「くしゅん」が響く。白い吐息が空へ昇る。冷たい手を握る。そして、まだ聞こえないはずだった「冬の鼓動」が、いつの間にか君と僕の鼓動になる。未来は不確実なまま。

だからこそ、この歌は何度も、「今」へ戻ってくる。

作品情報

Track
9
制作
2006年11月
初出
2007年4月4日
クレジット
作詞: みゅー/作曲: みゅー

歌詞

心に出来た 水たまりには 氷が張っていて
君は子供みたいに それを一つずつ 踏み割ってくれた

ふと立ち止まると 全ての音が かき消されてしまった様で
空気は 張り詰めていく 耳を澄ませれば 今にも聞こえてきそうな
冬の鼓動

「ねぇ、今夜辺り降るつもり?」
ピンと張り詰めた 夜空を見上げ 問いかけるんだ
今、「くしゅん」と響き渡る 君のくしゃみが 何故かとても 愛しく思えたんだ
「くしゅん」

何色にも染まっていない 初雪のような 真白い心を持っていて
君は子供みたいに 無邪気に笑って 僕を 溶かしていった

今 僕が描く 不確実な未来に 君を 描き加えてみたんだ
君が刻む 不安定なリズムに 乗せて 僕が唄う!

今 心に降り積もる あの白い雪のような 愛を 君に届けるんだ
そっと 君に降り積もる 悲しみや 不安や 後悔を 僕が 溶かすんだ

僕らに 本当の静寂が訪れて やがて 時間が止まる
聞こえてくる 冬の鼓動

きっと 今夜辺り降るつもり 冷えた君の手を握りしめて
白い吐息が 空に昇って
君と僕が奏でる 鼓動のハーモニーだけが 夜空に響き渡るんだ
今 君が刻む 不安定なリズムに乗せて 僕が唄う!
心に降り積もる この愛を 雪に乗せて 今・・・

曲を読む

最初にあるのは、水ではなく氷だ。

心に出来た 水たまりには 氷が張っていて
君は子供みたいに それを一つずつ 踏み割ってくれた

心の中に水たまりがある。流れてはいない。一か所に溜まっている。しかも、その表面には氷が張っている。閉じている。

そこへ君がやってくる。ただし、溶かしてくれた、ではない。

踏み割ってくれた

である。かなり物理的だ。しかも、

一つずつ

踏み割る。

一気に全部を救うわけではない。

子どもが凍った水たまりを見つけて、面白がって踏んでいるような光景でもある。実際、

子供みたいに

と書いてある。君が治療しようとしたのか、救おうとしたのかは分からない。

でも、こちらは、

くれた

と受け取っている。君にとっては無邪気な行動でも、僕にとっては氷が割れる出来事だった。そのまま歩いていくのかと思ったら、ふと止まる。

ふと立ち止まると 全ての音が かき消されてしまった様で
空気は 張り詰めていく 耳を澄ませれば 今にも聞こえてきそうな
冬の鼓動

「ふと」。わざわざ静寂を作ろうとして立ち止まったのではない。止まってみたら、急に世界の音が消えたように感じた。しかも、

かき消されてしまった様で

である。本当に無音になったとは言っていない。そう感じた。静かなのに、

空気は 張り詰めていく

緩まない。むしろ緊張する。そこで耳を澄ませると、

今にも聞こえてきそうな

何かがある。まだ聞こえていない。「聞こえる」でもない。「聞こえてきそう」。その直前にいる。

そして、そのまだ聞こえない音へ、

冬の鼓動

と名前をつける。

冬に心臓があるわけではない。

でも、季節が始まる直前の空気を、何かが脈打ち始めるように感じている。面白いのは、この歌の後半になると、

聞こえてくる 冬の鼓動

へ変わることだ。最初は「聞こえてきそう」。あとでは「聞こえてくる」。まだだった音が、歌の途中で本当に鳴り始める。その前に、最初に聞こえるものがある。

「ねぇ、今夜辺り降るつもり?」
ピンと張り詰めた 夜空を見上げ 問いかけるんだ
今、「くしゅん」と響き渡る 君のくしゃみが 何故かとても 愛しく思えたんだ
「くしゅん」

夜空へ、

降るつもり?

と聞く。雪に意思があるような言い方だ。降るの?どうなの?でも当然、夜空は返事をしない。

その代わり、

今、「くしゅん」と響き渡る

のである。ここで急に「今」が出る。

未来の雪ではない。

今のくしゃみ。しかも、

響き渡る

ずいぶん大げさだ。ただのくしゃみが、静かな夜には大事件になる。そして、

何故かとても 愛しく思えたんだ

理由は説明しない。寒いからくしゃみをした。それだけかもしれない。でも、壮大な「冬の鼓動」を待っていた人にとって、目の前の身体から実際に出た「くしゅん」の方が、よほど確かな音だった。

さらに次の一行は、

「くしゅん」

だけである。意味のない音を、もう一度文字にする。冬の詩情のど真ん中に、くしゃみが二回ある。そこがいい。君は、雪そのものにも重ねられる。

何色にも染まっていない 初雪のような 真白い心を持っていて
君は子供みたいに 無邪気に笑って 僕を 溶かしていった

ここで二度目の、

子供みたいに

が出る。最初は、氷を踏み割る姿だった。今度は、

無邪気に笑って

いる。君の無邪気さをかなり理想化している。

何色にも染まっていない

真白い心

まで言う。本当に人の心がそんなに真白いのかどうかは分からない。少なくとも、僕にはそう見えている。そして最初は氷を、

踏み割ってくれた

だった。今度は、

僕を 溶かしていった

になる。割る。溶かす。作用が変わる。氷の表面を外から壊すだけではなく、僕自身の状態が変わっていく。

しかも、「溶かした」

ではない。

溶かしていった

時間がある。少しずつ変わっていった感じが残る。その君を、未来へ入れてみる。

今 僕が描く 不確実な未来に 君を 描き加えてみたんだ
君が刻む 不安定なリズムに 乗せて 僕が唄う!

ここでも、

である。未来の話なのに、最初の言葉は今。しかも未来には、

不確実な

と最初から書いてある。君とずっと一緒にいる。

そう決めたわけではない。

描き加えてみたんだ

である。やってみた。未来の絵へ、君を少し描き足してみた。そのくらいだ。

「必ずこうなる」と約束する言葉ではない。

そして君が刻むリズムも、

不安定

である。未来も不確実。リズムも不安定。

何一つ盤石ではない。

でも、その不安定なリズムを直そうとはしない。

乗せて 僕が唄う!

そこへ自分の歌を合わせる。確かな拍へ君を合わせるのではなく、君の揺れへこちらが乗る。次の二行では、同じ「降り積もる」が別のものを運ぶ。

今 心に降り積もる あの白い雪のような 愛を 君に届けるんだ
そっと 君に降り積もる 悲しみや 不安や 後悔を 僕が 溶かすんだ

また、

で始まる。僕の心へ降り積もるのは、

である。君へ降り積もるのは、

悲しみや 不安や 後悔

である。同じ動詞だ。愛も積もる。悲しみも積もる。雪は、どちらにもなれる。

しかも僕の愛そのものが、

あの白い雪のような

と書かれている。愛を雪にして君へ届ける。その一方で、君に積もった悲しみは、

僕が 溶かすんだ

と言う。少し変である。自分の愛も雪なら、積もる側ではないのか。でも同時に、その愛で君の雪を溶かそうとしている。雪なのか。

熱なのか。どちらもなのだろう。そして、最初は君が僕を溶かした。今度は僕が君を溶かそうとする。助ける側が入れ替わる。

君が僕を救い、その恩を僕が返す、というほど整然とはしていない。

ただ、どちらか一方だけが強い人ではない。

溶かされた人が、今度は溶かそうとする。その往復がある。そして、とうとう最初の予感が実際の音になる。

僕らに 本当の静寂が訪れて やがて 時間が止まる
聞こえてくる 冬の鼓動

最初は、

今にも聞こえてきそうな

だった。今度は、

聞こえてくる

である。冬の鼓動が到着する。

でも、その直前にあるのが、

本当の静寂

なのが面白い。本当の静寂なのに、鼓動は聞こえる。音がないのか、あるのか。さらに、

時間が止まる

のに、鼓動する。鼓動は、動いている証拠である。止まった時間の中で、生命だけが鳴る。だからここでの「静寂」は、完全な無音というより、余計なものが消えて、聞きたい音だけが残った状態なのかもしれない。そして冒頭の問いが、少しだけ形を変えて戻る。

きっと 今夜辺り降るつもり 冷えた君の手を握りしめて
白い吐息が 空に昇って
君と僕が奏でる 鼓動のハーモニーだけが 夜空に響き渡るんだ

最初は、

「ねぇ、今夜辺り降るつもり?」

だった。今度は、

きっと 今夜辺り降るつもり

になる。疑問符がなくなる。少しだけ確信が増えた。ただし、雪が実際に降ったとはまだ書かれない。代わりに白いものが出る。

白い吐息

である。雪は空から降ってこない。二人の吐息が、先に空へ昇っていく。降りてくるはずの白さを待ちながら、自分たちの身体の方から白いものを空へ返す。そして、冬の鼓動はもう冬だけのものではなくなる。

君と僕が奏でる 鼓動のハーモニー

である。最初は、冬の鼓動。次には、君が刻む不安定なリズム。最後には、君と僕の鼓動のハーモニー。音の持ち主が少しずつ近づいてくる。

冬。君。君と僕。しかも「ハーモニー」なので、二つが完全に同じ音になるわけではない。違う音のまま、一緒に鳴る。

君のリズムが「不安定」だったことも、ここで消されたわけではない。そして最後。

今 君が刻む 不安定なリズムに乗せて 僕が唄う!
心に降り積もる この愛を 雪に乗せて 今・・・

また、

である。この歌は未来のことを何度も考える。雪が降るか。君との未来はどうなるか。

でも未来には、

不確実

と書いてある。だから何度も今へ戻る。今、くしゃみが聞こえた。今、未来へ君を描き加えた。今、愛が降り積もる。

今、君のリズムに乗せて歌う。そして最後は、

今・・・

で止まる。愛を雪に乗せて、今、どうするのか。届ける。伝える。言う。

その先は書かれない。三点リーダーで時間そのものを止める。雪もまだ降っていない。未来も決まっていない。でも冷たい手はここにある。

白い吐息もある。くしゃみもある。鼓動もある。だから、この一夜だけは確かだった。歌の中で時間を止めたくなるのも、少し分かる気がする。

雪が降ることと、誰かに振られることを重ねた初期の言葉遊びまで含め、寒さと不安が同じ場所にある。本人がイントロを「我ながら神がかってる」とまで褒めている一方で、歌の中では時間が止まりそうになる。短期間に詰め込んだ勢いと、静止する感覚が同居した曲だ。

制作背景

雪が降る直前の、空気が「ピンと張り詰めた」瞬間を切り抜きたかった曲。本人は「瞬間冷凍したような歌」と呼び、「今」という言葉を意識的に多く入れたという。制作はかなり急ピッチで、持っていた音楽理論と技術を「総動員した力作」「最高傑作」と現在も景気よく自画自賛している。鼓動とドラムを重ねる意図も作る側にあった。みゅー本人による詳しい制作記録は、NOTES「制作秘話」で読めます。

Mutant Music史から見ると

「冬の鼓動」の前には、すでに水と寒さの歌がいくつかある。「渇いた水槽」では、心の水槽は空だった。水そのものがなく、底では欲望が干からびていた。「冬の鼓動」では、

心に出来た 水たまりには 氷が張っていて

となる。今度は水がある。でも凍っている。空だったものが満たされたから解決した、という話ではない。困り方が変わった。

乾いていた。今度は凍った。そして、その氷を君が踏み割る。さらに、

僕を 溶かしていった

となる。水。氷。破砕。融解。

状態ばかり変わっていく。それは、このアルバムで人の気持ちがなかなか一つの状態に留まらないことにもよく似ている。

もう一つ近くにあるのが「ともしび」だ。あの曲にも寒い朝があった。凍える心があった。強い風が吹いた。

でもそこでは、

ひっそりと一人

だった。小さな灯火は、誰も照らせないと思っていた。「冬の鼓動」では、

冷えた君の手を握りしめて

となる。寒さは同じようにある。ただ、今度は触れられる手がある。そして、

君と僕が奏でる 鼓動のハーモニー

まで行く。だからといって、「ともしび」の孤独を克服して「冬の鼓動」へ進んだ、という話にはしない。二曲の制作時期は近い。同じ頃に、一人で消えそうに感じる自分と、誰かの手を握って時間を止めたくなる自分が、両方いた。その方が自然だと思う。

そしてアルバムの曲順では、「秋の終わり」の次に「冬の鼓動」が置かれる。これはあまりにもきれいだ。秋が終わる。雪が降り積もる。冬が来る。

そして次の曲が「冬の鼓動」。ところが制作月は逆である。「冬の鼓動」が2006年11月。「秋の終わり」が2006年12月。つまり、「秋の終わり」を作ったから冬の曲が生まれたわけではない。

先に冬があった。あとから秋がその手前へ置かれた。アルバムへ並べることで、制作順とは別の季節ができた。これは「秋の終わり」で歌った、秋の次に冬が来る、という規則を、作品の曲順そのものが実行しているようで少し可笑しい。ただ、その秋から冬への流れも、単純な失恋から新しい恋への回復物語にはしない方がいい。

「冬の鼓動」自身が、

不確実な未来

と書いている。君のリズムも、

不安定

である。何も確定していない。それでも、今夜。今。くしゅん。

冷たい手。白い吐息。鼓動。という身体の小さな事実はある。

「冬の鼓動」が残したのは、関係の結末ではない。

まだどうなるか分からない一夜である。未来を約束できないからこそ、その瞬間だけは凍らせて取っておきたかった。

現在のみゅーが「瞬間冷凍したような歌」と呼んでいるのは、そこまで含めると、かなりよくできた言い方だと思う。

クレジット

作詞
みゅー
作曲
みゅー