笑顔のち夏

「お待たせしました」と笑った人が、夏まで運んでくる。

そんなところから始まる誕生日の歌である。

ところが、歌っているのは夏の明るさだけではない。

季節が変わるのは寂しい。君が変わるのは哀しい。歳を取るのは孤独だ。けっこう怖がっている。それでも最後には、「一緒に歳を重ねていこう」と言う。

夏の歌なのに、ずいぶん遠くまで行く。

作品情報

Track
10
制作
2006年6月
初出
2006年9月4日
クレジット
作詞: みゅー/作曲: みゅー

歌詞

「お待たせしました」と君が微笑む
誰もが待ち望んだ 夏の始まり
君がこの世に生まれた時に 夏が始まったんだ
涙で泣き濡れた 春の終わり 忘れてしまえ!
笑顔のち夏

季節が変わっていくことが 寂しいことに思えてたけど
だけど 草木も花も鳥も太陽も 当然と受け止めて 毅然と変わっていく

春の次に夏が来るように 僕らも大人になっていく
夏をこよなく愛してる 東京も夏っぽくなりました

落ち込んでる時だって 君が微笑む
誰もが救われる その笑顔に
君がこの世に生きている限り この世界は大丈夫
涙で泣き疲れた 夜も今日で終わり 笑って暮らせ!
笑顔のち夏

君が変わっていくことが 哀しいことに思えてたけど
だけど あの頃も今も過去も未来も 全部ひっくるめて 君の側にいたい

君と初めて出会った日が 遠い昔のことのようで
君を誰よりも愛してる 君も大人っぽくなりました

年老いていくことが この上なく孤独に思えてたけど
だけど あの娘も彼も僕も君も 同じ分だけ歳を重ねている
決して独りぼっちじゃないんだから

季節が変わり 明日 夏が来ることを みんな心待ちにしているんだよね
歳を重ねることだって だんだん楽しくなりそうです

一緒に歳を重ねていこう 誕生日おめでとう!

曲を読む

最初の言葉は、とても日常的だ。

「お待たせしました」と君が微笑む
誰もが待ち望んだ 夏の始まり

「お待たせしました」。店なら一日に何度も使われそうな言葉である。何か注文したものが運ばれてきた。そのはずなのに、次の行では夏が来る。君が笑った。

夏が始まった。いきなり因果関係が大きい。しかも、

誰もが待ち望んだ 夏の始まり

である。

僕が待っていた、ではない。

「誰もが」。一人の笑顔を、みんなの季節へ広げてしまう。そして、さらに話は大きくなる。

君がこの世に生まれた時に 夏が始まったんだ
涙で泣き濡れた 春の終わり 忘れてしまえ!
笑顔のち夏

夏に生まれた、ではない。

君が生まれたから、夏が始まった。暦の中に君がいるのではなく、君の誕生の方が暦を動かしている。誕生日ソングとしては、かなり景気がいい。その一方で、夏の直前には、

涙で泣き濡れた 春の終わり

がある。そして答えは、

忘れてしまえ!

乱暴である。

悲しみをゆっくり受け止めよう、ではない。

忘れろ。夏が来るから。笑え。元気を出せ。励ましたい気持ちが、悲しむ時間まで押していく。

題名の「笑顔のち夏」も妙だ。「雨のち晴れ」なら、雨のあとに晴れが来る。ここでは、笑顔のあとに夏が来る。

夏だから笑顔になるのではない。

君が笑ったので、夏になる。世界の天気予報を、一人の表情へ任せてしまっている。この大げさな祝福のあと、歌は急に「変わること」の話を始める。

季節が変わっていくことが 寂しいことに思えてたけど
だけど 草木も花も鳥も太陽も 当然と受け止めて 毅然と変わっていく

「思えてたけど」。そしてすぐ、「だけど」。一回逆接したのに、もう一度逆接する。寂しい。でも。

だけど。変わらなければならない。まだ納得し切っていない感じが、この二重の「けど」に残る。草木も花も鳥も太陽も、本当は何も言っていない。

それをこちらが、「当然と受け止めて」「毅然と変わっていく」と読んでいる。自然がそう教えているというより、変化を怖がっている自分が、周りを見て何とか理屈を探しているように聞こえる。

そこから、

春の次に夏が来るように 僕らも大人になっていく
夏をこよなく愛してる 東京も夏っぽくなりました

へ行く。季節が変わる。僕らも変わる。かなり大きな話をした直後に、

東京も夏っぽくなりました

と急に近況報告になる。しかも敬体。「なりました」。ここだけ手紙みたいだ。季節とは何か。

大人になるとは何か。そんなことを考えていた人が、急に東京の天気を書いてくる。この着地がいい。そして二度目の「笑顔のち夏」は、最初と少し形を変えて戻ってくる。

落ち込んでる時だって 君が微笑む
誰もが救われる その笑顔に
君がこの世に生きている限り この世界は大丈夫
涙で泣き疲れた 夜も今日で終わり 笑って暮らせ!
笑顔のち夏

最初は、「誰もが待ち望んだ 夏」。今度は、「誰もが救われる その笑顔」。「誰もが」がもう一度出てくる。君の笑顔は、季節を始めるだけでは足りず、今度は人まで救う。ずいぶん重責である。

しかも本人が落ち込んでいる時ですら、

君が微笑む

と言う。周りを救う笑顔を、落ち込んでいる本人にも求めてしまう。そこだけ読めば、かなり無茶な励ましだ。

でも、次の一行は少し違う。

君がこの世に生きている限り この世界は大丈夫

ここで条件になっているのは、君が笑っている限り、ではない。君が生きている限り。なのである。最初には、

君がこの世に生まれた時に 夏が始まったんだ

とあった。生まれたこと。生きていること。この二つが対応している。笑顔を褒める歌なのに、世界を大丈夫にしている理由は、最後には笑顔より手前へ戻る。

君がいる。それで大丈夫。ただし、その直後にはやっぱり、

笑って暮らせ!

と命令する。存在するだけでいい。でも笑ってほしい。両方言う。きれいには整理されていない。

そこがむしろ、この歌らしい。そして、この歌はここから同じ問いをもう一度やる。最初は、

季節が変わっていくことが 寂しいことに思えてたけど

だった。今度は、

君が変わっていくことが 哀しいことに思えてたけど
だけど あの頃も今も過去も未来も 全部ひっくるめて 君の側にいたい

になる。「季節」が「君」へ入れ替わった。文の形はほとんど同じだ。変わるのが寂しい。だけど。

今度の答えは、変わらないでくれ、ではない。

あの頃も今も過去も未来も 全部ひっくるめて

である。「あの頃」と「過去」は少し重なる。「今」と「未来」まで並べる。時間の分類としては、かなり大ざっぱだ。でも、この「全部ひっくるめて」は分類したいのではない。

一個も落としたくないのだと思う。昔の君。今の君。これから変わる君。どれか一つを選ばず、その側にいたい。

かなり大きなことを言っている。しかもそのすぐ後に、

君と初めて出会った日が 遠い昔のことのようで
君を誰よりも愛してる 君も大人っぽくなりました

と来る。また「なりました」。敬体である。「誰よりも愛してる」という大告白の直後に、「大人っぽくなりました」。少し距離を取って観察しているような言葉が混ざる。

近いのか遠いのか、よく分からない。そして三度目。今度は季節でも君でもない。自分たち全員の時間だ。

年老いていくことが この上なく孤独に思えてたけど
だけど あの娘も彼も僕も君も 同じ分だけ歳を重ねている
決して独りぼっちじゃないんだから

季節が変わることが寂しい。君が変わることが哀しい。年老いていくことが孤独だ。三回とも、怖い。だけど。

と考える。対象だけが大きくなっていく。季節。一人の君。そして、あの娘も彼も僕も君も。

誕生日を祝っているうちに、とうとう全員の老いまで考え始めてしまった。でも答えは案外単純だ。同じ分だけ歳を重ねている。

もちろん、人の人生は同じではない。

同じ一年でも中身は全然違う。それでも時間から逃げられないという一点だけは共有している。その最低限の「一緒」を、

決して独りぼっちじゃないんだから

へつなげる。そして最後には、

季節が変わり 明日 夏が来ることを みんな心待ちにしているんだよね
歳を重ねることだって だんだん楽しくなりそうです

となる。

「楽しくなった」ではない。

だんだん楽しくなりそうです

まだ途中である。

老いることが怖くなくなったわけではない。

でも、もしかしたら少し面白くなるかもしれない。

その程度だ。そしてようやく、

一緒に歳を重ねていこう 誕生日おめでとう!

で終わる。誕生日を祝うというのは、若いままでいてほしいと願うことではないらしい。来年も変わる。その次も変わる。自分も変わる。

それを一緒にやろう。最初は「忘れてしまえ!」。途中では「笑って暮らせ!」。

かなり強引に明るい方へ引っ張っていた。でも最後は、「一緒に」。命令ではなく、並んで時間へ入っていく。「笑顔のち夏」という題名には、笑顔のあとに夏が来る順番がある。でも歌全体を見ると、夏が来ても全部が解決するわけではない。

季節はまた変わる。君も変わる。僕も歳を取る。だからこの歌は、夏を到着点にはしない。夏もまた、次へ進む途中にある。

急に敬体になるところについて、本人は「ふと敬体になるのってお手紙みたいでオシャレじゃない?」と今でも嬉しそうに振り返っている。明るい誕生日ソングの中に、季節が変わることや歳を重ねる不安まで入り込む。その温度差を、きれいな応援歌だけに整えない方がいい。

制作背景

きっかけは、同級生が働く沖縄料理店で見せた「お待たせしました」という笑顔だった。みゅーにはその笑顔が太陽のように見え、夏生まれだったその人を励ます誕生日ソングとして「必死で作った」という。題名も「笑顔の千夏」ではなく「笑顔のち夏」と、天気の言い回しを使っている。コード進行は本人が現在も「ピカイチ美しい」と気に入っており、難しいギターをかなり練習して録り直したという。みゅー本人による詳しい制作記録は、NOTES「制作秘話」で読めます。

Mutant Music史から見ると

「笑顔のち夏」を「Maricha」と並べると、「変わる」という言葉の扱いがずいぶん違う。「Maricha」では、変わった相手を見て、もう以前の彼女を見つけられない、と言った。変わってしまったこと自体が、喪失になっていた。

「笑顔のち夏」でも、

君が変わっていくことが 哀しいことに思えてたけど

までは同じである。やっぱり哀しい。変わることを、最初から歓迎してはいない。ただ、そのあとが違う。

だけど あの頃も今も過去も未来も 全部ひっくるめて 君の側にいたい

変わる前へ戻そうとはしない。変わったあとも含めて側にいたい、と言う。だからといって、「Maricha」でできなかったことが、この曲でできるようになった、と簡単に並べる必要はない。そもそも相手も違う。置かれていた状況も違う。

ただ、同じ「変わってほしくない」という感情から、別の言葉が出た。それだけでも面白い。そして後の「秋の終わり」では、季節の並びそのものがもう一度出てくる。

夏の次に秋が来る様に 秋の次に冬が来る様に
季節は僕を裏切らないから あの娘の様に僕を裏切らないから

「笑顔のち夏」では、

春の次に夏が来るように 僕らも大人になっていく

だった。季節が順番に変わっていくことを、人が大人になることへ重ねた。「秋の終わり」になると、その同じ規則正しさが、「裏切らないもの」として使われる。人は裏切るかもしれない。でも夏の次には秋が来る。

秋の次には冬が来る。季節の変化は、こちらの都合では止められない。でも止められないからこそ、順番だけは信用できる。

ところが、その歌の最後では、「でも冬も好きだ!」

と自分まであっさり気分を変える。季節について一度考えたから、変化の問題が解決したわけではない。同じ季節を見ながら、寂しい。当然だ。裏切らない。

でもやっぱり好き。と、その都度違うことを言う。「笑顔のち夏」も同じだと思う。変わるのは寂しい。哀しい。

歳を取るのは孤独だ。そこまで何度も言いながら、それでも一緒に歳を重ねよう、と言う。

怖くなくなったから一緒に行くのではない。

怖いまま、同じ時間へ入ろうとしている。誕生日の歌としては、ずいぶん大げさだ。でも最後に言いたかったことは案外簡単だったのかもしれない。来年もまた、一緒に歳を取ろう。そのくらいでいい。

クレジット

作詞
みゅー
作曲
みゅー