どん底
生きたい。
愛されたい。幸せになりたい。本人は、そのたびに、「ただ」。「それだけ」。と小さく言う。
でも括弧の中では、愛をくれ。金をくれ。飯をくれ。夢をくれ。殺してくれ。
ここから出してくれ。救ってくれ。と、声がどんどん増える。何も要らないとも言う。
最後には、
欲しいものはただひとつ 無条件の愛だけ
と言う。ひとつなのか。多いのか。もう本人にもよく分からない。その状態が「どん底」なのだと思う。
作品情報
- Track
- 4
- 制作
- 2008年1月
- 初出
- 2008年3月17日
- クレジット
- 作詞: みゅー/作曲: みゅー
歌詞
夜中に目が覚めた いつもの悪い夢 誰かの笑い声 無数の笑い声
暗い部屋 孤独の街 心の闇がずっとおれを呼んでいた
身体の奥の方へ 心を閉じ込めた 心の奥の方で 何かがはじけ飛んだ
許されないことなのか? ただ生きていたい それだけのことなのに
逃げ道が欲しくて 煙で埋め尽くしたって
アルコール持ち込んだって どこにも行けやしない
身体は空っぽで 頭はこんがらがって やり場のないこの想い
鮮やかな世界が 灰色に塗りつぶされてく
「私の存在があなたを苦しめる」「私の存在が誰かを不幸にする」
罪深いことなのか? ただ愛されたい それだけのことなのに
ある日 信じてたものが 突然 その色を変える
ガラガラ音を立て 足下から崩れ去り
右も行き止まり (愛をくれ)
左も行き止まり (金をくれ)
行き場のない憤り(飯をくれ)
あの日に逆戻り (やっぱり何も要らない)
頭から落ちてく (欲望も欠乏気味だぜ)
けダルい身体 鈍い痛み 思い知る ただ あなただけが 救い
欲深いことなのか? ただ幸せになりたい だけなのに
生きていくことの価値 手にしたものの勝ち
負け犬の遠吠え 何もかもうろ覚え
喰ったもの 吐き出して 眠ることも出来ないで
朽ちてゆくこの身体 腐ってゆく心
何もかも欲しがって (愛をくれ)
大切なもの無くして (夢をくれ)
死ぬことも出来ないで (先は暗れぇ)
無様に生を叫ぶ (殺してくれ)
この愛を吐き出して (ここから出してくれ)
ただ愛を吐き出して (・・・くれ)
欲望をむき出しにして (救ってくれ)
欲しいものはただひとつ 無条件の愛だけ
曲を読む
目が覚めても、悪夢の外には出られない。
夜中に目が覚めた いつもの悪い夢 誰かの笑い声 無数の笑い声
暗い部屋 孤独の街 心の闇がずっとおれを呼んでいた
まず、
いつもの悪い夢
である。
初めてではない。
まただ。そして最初は、
誰かの笑い声
だったものが、すぐ、
無数の笑い声
へ増える。一人だったはずの誰かが、数え切れなくなる。景色の方も、暗い部屋。孤独の街。心の闇。
と広がっていく。部屋から街へ出たようにも見えるのに、最後に呼んでいるのは、
心の闇
である。外へ行っても、いちばん近いところに闇がある。その心を、さらに奥へ押し込む。
身体の奥の方へ 心を閉じ込めた 心の奥の方で 何かがはじけ飛んだ
許されないことなのか? ただ生きていたい それだけのことなのに
身体の奥に、心。その心の奥に、何か。ずいぶん入れ子になっている。奥へ。さらに奥へ。
隠せば静かになるのかと思ったら、
はじけ飛んだ
である。閉じ込めることが、圧力をなくすのではなく、むしろ破裂させる。そして最初の願いが出る。
ただ生きていたい それだけのことなのに
生きたい。かなり大きな願いのはずだ。でも、
ただ
それだけ
と、必死に小さくする。それしか望んでいません。贅沢は言っていません。そんな言い方に聞こえる。
しかもその前には、
許されないことなのか?
がある。生きたいだけなのに、誰かの許可が要るような文になっている。何に許されないのかは書かれない。世間なのか。誰かなのか。
自分なのか。分からない。逃げようとはする。
逃げ道が欲しくて 煙で埋め尽くしたって
アルコール持ち込んだって どこにも行けやしない
身体は空っぽで 頭はこんがらがって やり場のないこの想い
鮮やかな世界が 灰色に塗りつぶされてく
逃げ道が欲しい。なのにやっていることは、煙を埋め尽くす。アルコールを持ち込む。外へ出るための行動というより、いる場所へ何かをさらに入れている。
だから、
どこにも行けやしない
になる。外側は煙や酒でいっぱいになるのに、
身体は空っぽ
である。外は過剰。中は空っぽ。その頭も、
こんがらがって
いる。そして世界の色まで変わる。
鮮やかな世界
が、
灰色に塗りつぶされてく
世界そのものが灰色になったとは言わない。塗りつぶされていく。もともとあった色の上から、別の色が覆いかぶさる。まだ下には何かあるのかもしれない。でも今は見えない。
そこで、突然、鉤括弧の声が入る。
「私の存在があなたを苦しめる」「私の存在が誰かを不幸にする」
罪深いことなのか? ただ愛されたい それだけのことなのに
この「私」が誰なのかは、歌詞だけでは分からない。誰かが言った言葉なのか。記憶なのか。自分の中で再生されている声なのか。決めない。
ただ、かなり重いことを言う。存在すること自体が、あなたを苦しめる。誰かを不幸にする。
行動が悪いのではない。
存在そのものが問題だと言っている。その直後に、
ただ愛されたい それだけのことなのに
となる。さっきは、
ただ生きていたい それだけのことなのに
だった。生きたい。次は、愛されたい。願いは一つ増えた。でも言い方は同じだ。
ただ。それだけ。何も大それたことは望んでいない、という顔をし続ける。ただ、歌はこのあと、欲しいものを山ほど言う。その前に、信じていたものが壊れる。
ある日 信じてたものが 突然 その色を変える
ガラガラ音を立て 足下から崩れ去り
まず、
色を変える
だった。視覚の変化だ。それが次には、
ガラガラ音を立て
になる。今度は音がする。そして、
足下から崩れ去り
立っている場所までなくなる。信じていたものが別物に見えた。というだけでは済まない。その瞬間、自分の足場まで壊れる。そこで道を探す。
右も行き止まり (愛をくれ)
左も行き止まり (金をくれ)
行き場のない憤り(飯をくれ)
あの日に逆戻り (やっぱり何も要らない)
頭から落ちてく (欲望も欠乏気味だぜ)
右。行けない。左。行けない。なら前へ。
ともならない。
行き場のない
である。そしてとうとう、
あの日に逆戻り
する。前へ出られないので、過去へ戻る。それでも駄目で、
頭から落ちてく
方向そのものが崩れる。右でも左でも前でも後ろでもなく、落ちる。その横で、括弧の声はやたら具体的だ。
愛をくれ
金をくれ
飯をくれ
愛。金。飯。ずいぶん種類が違う。精神的なもの。
所有するもの。食べるもの。全部同じ、
くれ
になる。
ところが、その直後には、
やっぱり何も要らない
である。さっきまで、くれ。くれ。くれ。と言っていたのに。
何も要らない。どっちなんだ。そしてさらに、
欲望も欠乏気味だぜ
である。
欲しいものが足りないのではない。
欲しがる欲望そのものまで欠乏している。愛もほしい。金もほしい。飯もほしい。でも何も要らない。
そして欲しがる力すら足りない。かなり壊れている。その混乱のあと、急に一人だけが残る。
けダルい身体 鈍い痛み 思い知る ただ あなただけが 救い
ここにも、
ただ
と、
だけ
がある。ただ。あなただけ。さっきは愛も金も飯も求めていた。今度は、救いを一人へ絞る。
でも、この「あなただけ」が誰なのかは書かれない。
鉤括弧の「私」と同じ人物なのかも分からない。そこをつなぐ必要はない。ただ、世界の出口が全部塞がったところで、救いまで一人に集中してしまう。かなり危うい。そして三つ目の問いが来る。
欲深いことなのか? ただ幸せになりたい だけなのに
今度は、生きたい。でも、愛されたい。でもない。
幸せになりたい
である。願いがだんだん広がっている。それなのにまた、
ただ
だけ
と小さく言う。ただ幸せになりたいだけ。それくらいいいだろう。と。でも本当に「それだけ」なのか。
歌の中ではもう、愛、金、飯、救いを要求している。この矛盾は解消しない方がいい。幸せになりたいという一つの願いの中に、必要なものがいくらでも増えてしまう。後半では、言葉そのものがまた韻へ流れ始める。
生きていくことの価値 手にしたものの勝ち
負け犬の遠吠え 何もかもうろ覚え
喰ったもの 吐き出して 眠ることも出来ないで
朽ちてゆくこの身体 腐ってゆく心
価値。勝ち。遠吠え。うろ覚え。重いことを言っているのに、音は妙に整っている。
「生きていくことの価値」。かなり大きな問いだ。でもすぐ、
手にしたものの勝ち
と、勝ち負けの話になる。そして自分は、
負け犬
になる。哲学みたいな言葉から、ずいぶん俗っぽいところへ落ちる。その身体も、
喰ったもの 吐き出して
いる。入れたものを保持できない。眠ることもできない。身体は朽ちる。心は腐る。
最初には、
身体は空っぽ
だった。今度は、食べても吐き出してしまう。空っぽなのに、入れても残せない。この「吐き出す」は、すぐ愛にまで移る。
何もかも欲しがって (愛をくれ)
大切なもの無くして (夢をくれ)
死ぬことも出来ないで (先は暗れぇ)
無様に生を叫ぶ (殺してくれ)
この愛を吐き出して (ここから出してくれ)
ただ愛を吐き出して (・・・くれ)
欲望をむき出しにして (救ってくれ)
欲しいものはただひとつ 無条件の愛だけ
ここは、本文と括弧がほとんど別々の歌を歌っている。本文では、
何もかも欲しがって
と言う。括弧では、
愛をくれ
次は、
夢をくれ
欲しいものが増える。そして、
死ぬことも出来ないで
に対して、
殺してくれ
がぶつかる。少し前には、
ただ生きていたい
と言っていた。ここでは、
殺してくれ
と言う。どちらが本当かを選ばない。生きたい。
でも、この状態は終わってほしい。
そういう声が同時に鳴ることはある。少なくともこの歌は、どちらか一方へ整理しない。さらに、
喰ったもの 吐き出して
だった身体が、
この愛を吐き出して
になる。食べ物と愛が、同じ動詞で外へ出される。愛は欲しい。でも自分の中にある愛は吐き出したい。受け取りたいのか。
捨てたいのか。これも両方ある。しかも、
ただ愛を吐き出して
に対して、括弧の返事は、
(・・・くれ)
まで縮む。何をくれ、なのかさえ省略される。ずっと続いた要求が、とうとう動詞だけになる。くれ。
そしてその次は、
救ってくれ
である。最後に、全部を一つへまとめる。
欲しいものはただひとつ 無条件の愛だけ
また、
ただ
そして、
だけ
である。最初からずっと同じだ。ただ生きたい。それだけ。ただ愛されたい。
それだけ。ただ幸せになりたい。だけ。そして、ただひとつ。愛だけ。
欲望を小さく言い続けて、最後に「無条件の愛」を置く。でも無条件の愛というのは、かなり大きな要求でもある。何をしても。どんな状態でも。条件を付けずに愛してほしい。
それを、「ただひとつ」と言う。欲しいものを一個に絞ったので、欲望が小さくなったわけではない。むしろ、最後にいちばん大きなものを要求したようにも見える。この歌の「どん底」は、何も欲しくなくなる場所ではない。欲しい。
要らない。吐き出したい。くれ。救ってくれ。それらが全部一緒に鳴って、どれを満たせば終わるのか分からなくなった場所だ。
完成版では要求するものが愛、金、飯、夢、救いへ増えているけれど、出発点からすでに「くれ」と叫ぶ曲だった。重い歌のセルフライナーの最後で、「うろ覚え」という言葉の勘違いを笑っている横道まで含めて、妙にこの曲らしい。
制作背景
歌詞より先に、サビのギターリフからできた曲。仮題は「愛ヲクレ」で、最初は本人曰く「愛をくれー、飯をくれーってただ欲望を叫んでる曲」だった。二つのメロディーを重ねる仕組みも初期形からあり、そこから「ちょっと吉井和哉っぽく」アレンジしていったという。みゅー本人による詳しい制作記録は、NOTES「制作秘話」で読めます。
Mutant Music史から見ると
「どん底」より前にも、満たされないものは何度も歌われていた。たとえば「渇いた水槽」。あの曲では、
年中 心の水槽は 空になって渇いてる
と、自分の内側を空の器として見ていた。欲望はある。でも、
底の方で干からびてる
そんな状態だった。「どん底」では、器を少し離れて眺める余裕があまりない。
身体は空っぽで
と言った直後から、愛をくれ。金をくれ。飯をくれ。と、声が直接出てくる。同じ欠乏でも、書き方が違う。
空っぽの水槽を眺める。あるいは、空っぽの身体の中から「くれ」と叫ぶ。
どちらかが進んだ形ではない。
満たされなさが、その時々で違う文法を持っている。煙も以前からあった。「Go Up In The Smoke」では、煙そのものが曲の中心的な像になっていた。「どん底」では、
逃げ道が欲しくて 煙で埋め尽くしたって
となる。煙は逃げ道を作らない。むしろ今いる場所を埋める。そして、
どこにも行けやしない
になる。以前の煙の意味を、この曲が完成させたわけではない。同じ煙が、別の時には別の働きをする。それだけで十分だと思う。アルバムの曲順では、直前が「ブリブリブルース」。
あの曲の終盤には、
底のない 涙
があった。次の曲の題は、「どん底」。あまりにきれいにつながる。でも、両方とも2008年1月の制作圏にあり、厳密な制作順や、同じ出来事を続けて書いたという資料はない。
だから、振られた。底のない涙が出た。そのまま「どん底」へ落ちた。という伝記にはしない。
アルバムに並べた結果、「底のない涙」の次に「どん底」が来る。その曲順上の落下だけを受け取ればいい。そして二曲の言葉遣いは、かなり違う。「ブリブリブルース」は、悲しいのに駄洒落と韻が暴れた。ゴキブリ。
monkey。Oh yeah!あいにくNo。意味が壊れるほど言葉が走った。「どん底」は、もっと真正面から欲しいものを言う。
生きたい。愛されたい。幸せになりたい。愛をくれ。飯をくれ。
救ってくれ。ところが、真正面から言えば整理されるかというと、まったくそんなことはない。むしろ要求は増える。本文と括弧は矛盾する。生きたい声と殺してくれという声まで重なる。
前の曲が言葉を散らして混乱したなら、こちらは欲望を全部言おうとして混乱する。違う方法で、どちらも整わない。最後に、
無条件の愛だけ
まで言っても、出口は開かない。愛を受け取れば本当に救われるのか。誰から受け取りたいのか。自分の中にある愛をなぜ吐き出すのか。何も答えない。
タイトルは「どん底」だけれど、底に着いたから動きが止まったわけではない。むしろ底だと思った場所で、まだ欲望が騒いでいる。何も要らない。
でも、くれ。
その矛盾が消えないままなのが、この曲のいちばん苦しいところだと思う。
クレジット
- 作詞
- みゅー
- 作曲
- みゅー