あの日あの時さよなら

誰もいない。

でも、あなたとふたり。

同じ部屋。同じ街。同じ「誰にも見つからない」。二度目には、あなたはひとり。ほとんど同じ言葉を繰り返しているだけなのに、場所の意味がまるごと変わる。

そして最後まで、なぜそうなったのかは分からない。

この歌は「さよなら」を説明する歌ではない。

説明できないまま残った「さよなら」に、何度も戻ってくる歌だ。

作品情報

Track
3
制作
作曲2008年10月・作詞2009年2月
初出
2011年9月4日
クレジット
作詞: みゅー/作曲: みゅー

歌詞

誰もいない部屋に
 あなたとふたり
誰もいない街に
 あなたとふたり
誰もいない世界
 あなたとふたり
誰にも見つからないように
ふたり

いつまでも続く
夢の途中で
さよならさ

誰もいない部屋に
 あなたはひとり
誰もいない街に
 あなたはひとり
誰もいない星空
 あなたはひとり
誰にも見つからないように
ひとり

どこまでも続く
道の果てに
さよならさ

いつまでも続くと思っていた
なのに
ただどこまでも続くと思っていた
なのに

なすすべもなく
終わりをつげる
あなたに
さよなら

片道の旅路の上に そっと
取り残されてしまった 忘れ物
ああ 深い闇 手探り
まだ探し続けている 愚か者

悲しみで枯れ果てた花に そっと
やさしく降り注ぐ 冷たい雨も
ああ 心潤せない
どうして降り止まない?

どうしても分からない
あの日あの時さよなら

曲を読む

最初は、

誰もいない部屋に
あなたとふたり
誰もいない街に
あなたとふたり
誰もいない世界
あなたとふたり
誰にも見つからないように
ふたり

「誰もいない」が三度出る。部屋。街。世界。どんどん広がる。

でも、誰もいない、と言いながら、

あなたとふたり

である。二人はいる。つまり「誰もいない」は、文字どおりの無人ではない。僕とあなた以外、誰もいない。そういう世界らしい。

部屋から街へ。街から世界へ。場所が広がるほど、逆に二人だけになる。そして、

誰にも見つからないように

である。見つからないことは、ここでは必ずしも怖くない。二人でいるなら、誰にも邪魔されない。誰にも見つからない。そんな秘密の場所にも見える。

最後も、

ふたり

一語だけだ。誰もいない世界に、ふたり。かなり閉じている。

でも、その閉じた世界は長く続かない。

いつまでも続く
夢の途中で
さよならさ

まず、

いつまでも続く

と言う。終わらない。そのはずなのに、次の行は、

夢の途中で

である。

最後まで見た夢ではない。

途中。そして、

さよならさ

夢が完結して目覚めたのではない。

まだ途中なのに、切られる。「いつまでも」と、「途中で」。同じ三行の中で、もう噛み合っていない。そして二度目。形はほとんど同じだ。

誰もいない部屋に
あなたはひとり
誰もいない街に
あなたはひとり
誰もいない星空
あなたはひとり
誰にも見つからないように
ひとり

変わったのは、

あなたとふたり

から、

あなたはひとり

である。似ている。

でも同じではない。

になる。ふたりひとり になる。最初の、

あなたと

には、誰かとの接続があった。僕とあなた。だから二人だった。二度目では、

あなたは

と、あなた一人を取り出す。接続する助詞が消えるのと一緒に、ふたり、も、ひとり、へ変わる。ほとんど同じ歌詞を使っているからこそ、この小さな変化が大きい。しかも場所も一つ変わる。

最初は、

誰もいない世界

だった。二度目は、

誰もいない星空

になる。部屋。街。その先が、世界、ではなく、星空。視界はむしろ遠くへ開いている。

なのに、あなたはひとり。

広くなったから自由になるわけではない。

そしてまた、

誰にも見つからないように

である。一度目には、二人だけの秘密に見えた「見つからなさ」が、今度はかなり寂しい。誰にも見つけてもらえない。そんな意味まで帯び始める。

同じ一行なのに、ふたり、か、ひとり、かで変わってしまう。そして二度目の「さよなら」。

どこまでも続く
道の果てに
さよならさ

最初は、

いつまでも

だった。今度は、

どこまでも

になる。時間から、空間へ。そして最初は、

夢の途中で

だった。今度は、

道の果てに

になる。途中。から、果て。へ。

それでも共通しているのは、

続く

という言葉だ。いつまでも続く。でも途中で終わる。どこまでも続く。でも果てがある。

続くはずのものの中に、最初から終わりが入り込んでいる。そして、どちらにも、

さよならさ

が置かれる。時間をどこまで伸ばしても。道をどこまで伸ばしても。そこに同じ言葉が待っている。だから後で、本人はその矛盾をそのまま言い直す。

いつまでも続くと思っていた
なのに
ただどこまでも続くと思っていた
なのに

ここで初めて、

思っていた

と明かされる。いつまでも続く。どこまでも続く。それは世界の事実ではなかった。自分がそう思っていた。

そして、

なのに

一語だけ。説明はない。何が起きたのか。なぜ終わったのか。誰が悪かったのか。

何も書かない。ただ、なのに。である。二度目には、

ただ

まで付く。

ただどこまでも続くと思っていた

「ただ」。ずいぶん控えめな言い方だ。それしか望んでいなかった、と言いたいのかもしれない。でも、どこまでも続くこと、を求めている。実はかなり大きな願いである。

無限を望みながら、「ただ」と言う。そこにも少し無理がある。そして、ようやく直接的な別れが来る。

なすすべもなく
終わりをつげる
あなたに
さよなら

なすすべもなく

何もできない。止めることも。変えることも。そして、

終わりをつげる

だけでは、まだ文が終わらない。誰が終わりを告げるのか。次の行で、

あなたに

が来る。「終わりをつげる」が「あなた」へつながるなら、終わりを告げるあなたに、最後の一行、

さよなら

を返しているようにも読める。ただ、主語までは書かれていない。それまで二度出てきたのは、

さよならさ

だった。少し歌らしく、言い切るような響きがある。ここだけは、

さよなら

裸の言葉になる。大きな説明もない。返せるものが、それしか残っていないように見える。そして歌は、別れのあとへ行く。

片道の旅路の上に そっと
取り残されてしまった 忘れ物
ああ 深い闇 手探り
まだ探し続けている 愚か者

まず、

片道

である。

往復ではない。

戻る道は含まれていない。その旅路の上に、

そっと

何かが取り残される。

忘れ物

である。誰が何を忘れたのか。歌詞は明示しない。ただ、ここまでの流れでは、語り手自身まで、置き去りにされた物のように見えてくる。

人ではなく、忘れ物。取りに戻ってもらえる保証もない。それでも、

手探り

する。そして、

まだ探し続けている

何を?書かれていない。あなたなのか。別れた理由なのか。続くはずだった道なのか。

自分自身なのか。分からない。むしろ、何を探しているのかさえ分からない感じがある。それでも探す。

だから最後に、

愚か者

と自分を呼ぶ。見つかる保証がない。存在する保証すらない。それでも闇の中で手を動かしている。

少し滑稽で、かなり寂しい。次の四行にも、

そっと

が戻る。

悲しみで枯れ果てた花に そっと

やさしく降り注ぐ 冷たい雨も

ああ 心潤せない

どうして降り止まない?

さっきは、片道の旅路の上に、

そっと

だった。今度は、枯れ果てた花に、

そっと

雨が降る。しかも、

やさしく

降る。かなり穏やかな言葉が重なる。

でも、その雨は、

冷たい

のである。やさしい。でも冷たい。花は枯れている。雨は降る。

普通なら、水があれば少し潤いそうなものだ。でも、

心潤せない

花へは雨が届いている。心には届かない。水が足りないから乾いている、という単純な話ではなくなる。そして問い。

どうして降り止まない?

なぜ雨が止まらないのか。答えは出ない。そのまま最後へ行く。

どうしても分からない
あの日あの時さよなら

ここは音が少し面白い。一つ前は、

どうして降り止まない?

だった。次は、

どうしても分からない

になる。「どうして?」という問いが、「どうしても分からない」へつながる。どれだけ考えても。手探りしても。

探し続けても。分からない。そしてその分からないものに、

あの日あの時さよなら

という名前を付ける。あの日。あの時。さよなら。間に説明の言葉がない。

いつの日なのか。何があった時なのか。なぜさよならだったのか。具体的なはずの、「あの日」「あの時」

なのに、いちばん肝心なところは空白のままだ。

題名まで来ても、理由は分からない。

この曲は別れを振り返って理解した歌ではない。

振り返っても、まだ分からない。その状態そのものを保存した歌なのだと思う。この歌には、以前の曲への応答、目の前で感じた誰かの孤独、昔から抱いていた人生像、報われない恋、個人的な記憶と、いくつもの入口がある。それを全部、一人の「あなた」の伝記へまとめなくていい。材料の多さを回収しきらないまま歌が終わること自体が、この曲にはよく似合っている。

制作背景

サビの旋律には以前から原型があり、曲として形になった時には、バンド仲間と公園で作曲していた。みゅーはキャッチーなPOPを作りたく、当時聴いていたくるり「赤い電車」の影響もあってA・Bメロを作り、すでにあったサビへ「強引にCメロを即興でひとり作り」接続したという。A・Bメロでは「これでもかってくらいのVo多重録音」を行い、最後にもう一度サビを置く構成にもこだわった。みゅー本人による詳しい制作記録は、NOTES「制作秘話」で読めます。

Mutant Music史から見ると

この曲について、制作側から明確な接続が示されているのは、「笑顔のち夏」である。イントロで、あの曲のAメロをパロディにした。

現在のみゅーは、アンサーソング、あるいは、その後を描くような気持ちもあった、と振り返っている。「笑顔のち夏」では、離れた相手を待つ時間があった。戻ってくるかどうか。季節がまた巡るかどうか。まだ未来が残っていた。

「あの日あの時さよなら」では、もう、

さよなら

がある。しかも、

あなたとふたり

だった空間が、

あなたはひとり

へ変わる。ただし、「笑顔のち夏」の物語が、そのままこの曲でこうなった、と一つの続編へ固定する必要はない。作者自身も、「その後だったのかもしれない」という記憶の温度だからだ。

完成した二曲を並べると、待つ歌と、終わった後も理由を探す歌。そういう違いが見える。「離れたくない」も、さよならの近くにいる歌だった。あちらでは、

笑っても 泣いても 君にサヨナラ言わなきゃ

と言った。まだ言っていない。でも、言わなければならない。その直前にいる。

「あの日あの時さよなら」では、もう、

あなたに
さよなら

まで来ている。それでも終わらない。むしろそのあとに、深い闇。手探り。探し続ける。

雨。分からない。が続く。別れの瞬間を越えれば整理できる、というわけではないらしい。言えない時間もある。

言った後に、意味だけが追いつかない時間もある。そして『茜空』の曲順では、直前が「フレッチャー」。あちらは、

さぁ!皆踊れ 音に溺れ

だった。手を鳴らす。ステージへ上がる。皆で踊る。かなり人が多い。

その次の曲の第一声は、

誰もいない部屋に

である。急に誰もいなくなる。前の曲で、皆。Boys & Girls。君。

メガネ。まで一人ずつステージへ引っ張り込もうとしていたのに、次の曲では、部屋にも。街にも。世界にも。誰もいない。

曲順としては、かなり急な遮断だ。ただし、踊って忘れようとしたから、その反動で孤独になった、という制作上の因果にはしない。「フレッチャー」は作詞が2008年8月。「あの日あの時さよなら」は2009年2月。

別々の時期に書かれた歌を並べたことで、アルバムの中に、群衆から無人へ、という落差ができた。それだけでも十分に強い。そして、この曲は最後まで、答えを得ない。別れの歌は何度も書かれてきた。

でも、別れた理由を理解できた歌ばかりではない。

「あの日あの時さよなら」が残したのは、二人だった。一人になった。さよならを言った。それでも分からない。という、ごく少ない事実だけだ。

その空白があるから、研究の場所で見た孤独も、以前の曲への応答も、自分自身の人生像も、個人的な記憶も、どれか一つに潰されずに同じ歌へ残る。

どうしても分からない

そこで止まったこと自体が、この曲の答えなのかもしれない。

クレジット

作詞
みゅー
作曲
みゅー