茜空

ガラクタだった。

宝物だった。どっちなんだ。たぶん、どっちもなのだ。悲しみは、いつか癒える。本当にそう言えるのか。

いつか、すべてを許せる。それも本当に言えるのか。それでも、さよなら言わなきゃ。会いにいかなきゃ。自分を愛さなきゃ。

もっと強くならなきゃ。

「茜空」は、何かを受け容れ終えた人の歌ではない。

まだ自分を急かしている。まだ迷っている。それでも、空の色が消える前に、どちらかへ身体を向けようとしている。

作品情報

Track
9
制作
作曲2008年7月・作詞2008年8月
初出
2011年9月4日
クレジット
作詞: みゅー/作曲: みゅー

歌詞

生まれたてのような朝に
寝ぼけたままの目をこすり
夢の続きのような心地
君と出会った 昼下がり

始まりと終わりの不思議
日々が奏でる物語
狂い咲いた夏の終わり
波音がさらうよ

いつかは悲しみも癒えると
言い得るの?
今何も望まない…

ガラクタだった 宝物だった
日々にさよなら言わなきゃ
吹き荒れた土砂降り
すべてを洗い流した

雨のち晴れて 愛を誓って
君に会いにいかなきゃ
燃えるような茜空
消える前に

生まれた時はゆりかごに
死んでしまえば みな墓に
命を巡る物語
君を愛してるよ

いつかはすべてを許せると
言い得るの?
何もかも受け容れて…

日々の静寂に大人になった
自分をもっと愛さなきゃ
滅入りそうな坂道
上り下り生きてきた

弱虫だった 羨ましかった
もっと強くならなきゃ
背を向けた逃げ道
もう戻れないから

夕立晴れて 愛を誓った
君に会いにいかなきゃ
燃えるような茜空
消える前が美しいね

背を向けた帰り道
君の元へ…

曲を読む

最初は朝である。

生まれたてのような朝に
寝ぼけたままの目をこすり
夢の続きのような心地
君と出会った 昼下がり

生まれたてのような朝

生まれた、ではない。

ような

である。そして、

夢の続きのような心地

ここにも、

ような

がある。朝なのに、まだ夢が完全には終わっていない。新しく始まったようでいて、前の時間も少し残っている。そんな曖昧なところから始まる。

そのまま、

昼下がり

に君と出会う。朝。昼。一日の時間が動き始める。

でも、その動きはすぐ、もっと大きな「始まり」と「終わり」の話になる。

始まりと終わりの不思議
日々が奏でる物語
狂い咲いた夏の終わり
波音がさらうよ

始まり。終わり。そしてまた、

夏の終わり

終わりが二度出る。でも、夏が終わった、だけではない。

狂い咲いた

のである。季節どおりに静かに終わるのではなく、終わり際に何かが咲く。しかも、狂い咲く。終わる時に始まるものがある。

最初から、始まりと終わりはきれいに分かれていない。そして、

波音がさらうよ

何をさらうのかは書かれない。狂い咲いたものなのか。夏なのか。日々なのか。感情なのか。

目的語がない。波音だけが来て、何かを持っていく。ここで歌は、最初の問いへ入る。

いつかは悲しみも癒えると
言い得るの?
今何も望まない…

面白いのは、「悲しみも癒えるの?」ではないところだ。

いつかは悲しみも癒えると
言い得るの?

癒えるかどうかだけではない。

そう言い切ることができるのか。言葉の方まで疑っている。「いつかは大丈夫になるよ」。よくある言葉である。

でも、本当にそんなことを言えるのか。

そして、

いつか

の直後に、

が来る。いつかは癒える。でも今は、

何も望まない…

何も要らない。そう言う。ただ、最後の三点リーダーが、完全な無欲の宣言にはしてくれない。本当にもう何も欲しくないのか。望んでまた失うのが嫌なのか。

そこまでは分からない。そして、その直後に出てくる過去が、一色ではない。

ガラクタだった 宝物だった

日々にさよなら言わなきゃ

ガラクタだった。宝物だった。間に、でも。けれど。本当は。

がない。同じ日々に、二つの過去形がそのまま付く。ガラクタ。宝物。どちらかが間違いだったとは言わない。

両方だったらしい。そして初めて、「〜なきゃ」が出る。

さよなら言わなきゃ

さよならしたい、ではない。

言わなきゃ。必要。義務。自分を急かしている。

この歌には、ここから何度も、

なきゃ

が出てくる。受け容れようとしている人が、ずっと自分へ命令している。そこが少し面白い。そして雨。

吹き荒れた土砂降り
すべてを洗い流した

かなり強い。

すべて

である。全部洗い流した。言葉だけなら、ここで過去はきれいになる。

ところが、このあとも、過去の日々。

弱かった自分。羨んだ自分。上り下りしてきた坂道。いろいろ戻ってくる。

だから、

すべてを洗い流した

を、記憶が完全に消えました、と読む必要はなさそうだ。何かは流れた。

でも、何も残らなかったわけではない。

その雨のあとに、一度目の茜空が出る。

雨のち晴れて 愛を誓って
君に会いにいかなきゃ
燃えるような茜空
消える前に

雨のち晴れ。分かりやすい。でも、晴れた。だから全部解決した。

ではない。

なにしろ、

愛を誓って

である。

誓った

ではない。

まだ途中の形だ。そして、

君に会いにいかなきゃ

また、

なきゃ

である。何も望まない、と言った人が、少し後には、愛を誓って、君に会いに行こうとしている。やっぱり何も望んでいないわけではなさそうだ。いや、望みというより、行かなければならない、と思っているのかもしれない。そこも少し違う。

会いたい、ではなく、会いにいかなきゃ。身体を動かすために、自分へ命令している。しかも期限がある。

消える前に

茜空は待ってくれない。燃えるように見えても、すぐ消える。だから、今。行かなきゃ。二番では、最初の「生まれたて」が本物の生と死へ広がる。

生まれた時はゆりかごに
死んでしまえば みな墓に
命を巡る物語
君を愛してるよ

最初は、

生まれたてのような朝

だった。今度は、

生まれた時

になる。比喩だった朝が、実際の誕生へ広がる。その次は、死。ゆりかご。墓。

ずいぶん遠くまで来た。

命を巡る物語

の「巡る」は、命が循環する、とも響く。ただ、日本語の「〜を巡る」には、命について。命をめぐって。という意味もある。

だからここだけで、生命は必ず循環する、と決めなくていい。確かなのは、生まれる。死ぬ。その間に物語がある。

という大きな時間のすぐ後に、

君を愛してるよ

という、とても個人的な一行が来ることだ。人生とは何か。生と死とは何か。そこまで広げておいて、結論は哲学ではない。君を愛してる。

それだけ。そして、もう一度問いが来る。

いつかはすべてを許せると
言い得るの?
何もかも受け容れて…

最初は、

いつかは悲しみも癒えると

だった。今度は、

すべてを許せると

になる。癒える。から、許す。へ。

自分の傷の問題だけでなく、何かを許すことまで入ってくる。でも、また、

言い得るの?

である。許せるようになった、とは言わない。いつか許せる。と断言することすら疑っている。

そして最初は、

今何も望まない…

だった。今度は、

何もかも受け容れて…

である。この二つはかなり違う。何も、望まない。何もかも、受け容れる。一方はゼロにする方向。

もう一方は全部入れる方向。同じ「何も」が、正反対へ動いている。しかも、「受け容れた」

ではない。

受け容れて…

三点リーダー。やっぱり途中である。この歌が「受容」を扱っているとしても、受容は完了形では出てこない。そして、その直後に、

日々の静寂に大人になった
自分をもっと愛さなきゃ
滅入りそうな坂道
上り下り生きてきた

日々の静寂に大人になった

少し不思議な日本語だ。静寂の中で、とも読める。静寂によって、とも響く。説明しすぎない方がいいと思う。

ただ、にぎやかな成功の中で大人になった、とは言っていない。日々の、静寂。そこで、

大人になった

と、ここだけは完了形で言う。でも次の行は、

自分をもっと愛さなきゃ

大人にはなった。でも、まだ自分を十分愛せてはいないらしい。また、

なきゃ

である。受け容れて。自分を愛さなきゃ。受容したから自己愛が完成した、ではない。

むしろ、自分を愛する必要がある、とようやく言葉にしている。そして坂道。

滅入りそうな坂道
上り下り生きてきた

坂道は、上る、だけではない。

上り下り

である。人生を上昇だけにはしない。上った。下った。それで生きてきた。

その次も、過去形が二つ並ぶ。

弱虫だった 羨ましかった
もっと強くならなきゃ
背を向けた逃げ道
もう戻れないから

少し前には、

ガラクタだった 宝物だった

だった。ここでは、

弱虫だった 羨ましかった

である。過去を一語でまとめない。弱かった。羨んだ。そういう自分もいた。

そしてまた、

もっと強くならなきゃ

また自分へ命令する。自分を愛さなきゃ。もっと強くならなきゃ。この歌の「受け容れる」は、何もしなくていい、という意味ではなさそうだ。受け容れたい。

でも変わりたい。その二つも同時にある。そして、

背を向けた逃げ道
もう戻れないから

逃げ道に背を向けたのか。逃げるために何かへ背を向けた道だったのか。文脈を完全に固定する必要はない。大事なのは、

もう戻れない

がここにあることだ。戻れない。だから次へ進む。と言い切れそうで、この歌は最後にもう一度、道をひっくり返す。その前に、二度目の茜空。

夕立晴れて 愛を誓った
君に会いにいかなきゃ
燃えるような茜空
消える前が美しいね

一度目は、

雨のち晴れて 愛を誓って

だった。二度目は、

夕立晴れて 愛を誓った

になる。

誓って

から、

誓った

へ。ここでは、本当に一つの行為が終わる。愛を誓った。決めた。では、そのまま何もかも完了するのか。

そうでもない。次の行は変わらない。

君に会いにいかなきゃ

まだ、

なきゃ

なのである。誓いは完了した。でも身体はまだ到着していない。

決心と行動は同時ではない。

そして茜空の見方も変わる。最初は、

消える前に

だった。急いでいる。期限である。今度は、

消える前が美しいね

になる。消えてしまう。だから急げ。から、消える前が、美しい。へ。

失われることそのものが、美しさの一部になる。しかも最後が、

である。

一人で断言するのではない。

美しいね。と、誰かへ同意を求めるような語尾になる。空は同じように消えていく。

でも、最初と最後では、その消え方の見え方が少し変わっている。そして、本当の最後。

背を向けた帰り道
君の元へ…

少し前には、

背を向けた逃げ道

だった。最後は、

背を向けた帰り道

になる。逃げ道。帰り道。同じ、

背を向けた

が付く。逃げる道と、帰る道。どちらも後ろに置くようにも読める。

でも、作者自身の当時メモには、この歌が、過去へ決別する歌なのか。やっぱり過去を忘れられず、未来を捨ててしまう歌なのか。自分でも曖昧だった、と残っている。だからここを、未来へ進む決意です、と一色にはしない方がいい。

そもそも最後も、

君の元へ…

で終わる。着いた、ではない。

君の元へ向かった。でもなく、

君の元へ…

方向だけ。三点リーダー。出発の途中で終わる。ガラクタだった。宝物だった。

何も望まない。何もかも受け容れる。戻れない。帰り道。さよなら言わなきゃ。

君に会いにいかなきゃ。自分を愛さなきゃ。強くならなきゃ。いろいろな言葉が、最後まで一つには整理されない。

でも、君の元へ。

という方向だけは残る。茜空が消える直前の色は、その矛盾が解ける時間ではなく、矛盾したまま身体の向きを変える時間なのだと思う。最後の行き先を、未来へ進む決意か、過去へ戻る決意かのどちらかへ決めなくていい。曖昧なのは後から解釈が不足したからではなく、作っていた本人がすでに「曖昧な歌」と捉えていた。現在のみゅーの自信満々な評価と、制作時の手探りは、そのまま両方残しておきたい。

制作背景

夏合宿で訪れた場所を思い浮かべながら、爽やかな夏の曲を作ろうとして生まれた。サビのメロディーは夜中に、本人の言葉では「夢遊病のごとく」できた一方、詞にはかなり苦労したという。当時のメモには「受容」「誓い」「決心」という言葉があるが、過去へ背を向けるのか、戻るのかまで一方向には固めず、自ら「曖昧な歌」と記していた。現在のみゅーは「イ段の韻をこれでもかって踏んでる」「Mutant Musicの傑作」「死ぬ時もこれを流してほしい」と、かなり気に入っている。みゅー本人による詳しい制作記録は、NOTES「制作秘話」で読めます。

Mutant Music史から見ると

「Promised Land」には、誰かと坂を上り、約束の場所へ向かう歌があった。そこで大事だったのは、向かう先だった。約束の場所。たどり着きたい場所。

I love you, I need you にも、道と坂道が出てくる。

ああ 道は不確かで

それでも、

今 二人 歩き出す

そして、

坂道も 悲しみも あるけれど

と歌った。「茜空」では、その坂道が少し違って見える。

滅入りそうな坂道
上り下り生きてきた

今度は、これから上る坂、だけではない。

すでに、上って。下って。生きてきた。坂道が、未来の試練から過去の履歴にもなる。

現在のみゅー自身も、「Promised Land」から続く坂道の言葉を、I love you, I need you、そしてこの曲へつながるものとして後から見ている。ただ、それを最初から設計された連作にはしない。

似た言葉が、別々の時期に、別の意味を帯びて戻ってきた。そのくらいがいい。I love you, I need you は、この曲の少し前、2008年6月に作られている。あの曲では、

誰よりも 愛してるよ

と、君への愛をかなりまっすぐ言った。そして、君の歌声に誘われ、僕も歌い出す。君を必要としながら、二人で歩き出す。そんな歌だった。

「茜空」にも、

君を愛してるよ

がある。

でも、それだけでは終わらない。

今度は、

自分をもっと愛さなきゃ

まで入る。君を愛することと、自分を愛すること。両方が必要になる。ただし、ここでも、自分を愛せるようになった、とは言わない。愛さなきゃ。

まだ課題である。他人への愛から自己愛へ進歩した、という一本道にはしない。この時の歌には、君を必要とする言葉と、自分を愛する必要があるという言葉が、どちらもあった。

さらに、その直前の2008年6月には、disturbも作られている。あの曲には、

悲しい愛を終わらせて 息もつかないうちに 愛を誓う

という一行があった。

現在のみゅーは後になって、この、「愛を誓う」という言葉を、「茜空」へ続く伏線のように見ている。制作順だけを見れば、disturbが先。「茜空」が後。だから言葉の連続そのものはあり得る。

でも、disturb を書いた時点で、次に「茜空」を書いてこの言葉を回収しよう、と計画していた資料はない。後から並べて見た時に、同じ「誓う」が別の場所で鳴っていた。それくらいにしておく。

そして「茜空」では、その誓い自体も一回で終わらない。最初は、

愛を誓って

後では、

愛を誓った

になる。確かに何かは決まる。でも、そのあとにも、

君に会いにいかなきゃ

が残る。決めること。動けること。受け容れること。自分を愛せること。

それぞれ別である。この曲を、Mutant Musicがついに過去を克服した作品、という場所へ置く必要はないと思う。なにしろ作者自身が制作時から、過去との決別なのか。過去へ戻るのか。

曖昧だ、と書いている。しかも歌詞は、ガラクタだった。宝物だった。と両方言う。過去を捨てない。

美化もしない。きれいに一色へ塗り直さない。そのうえで、最後に残るのは、

君の元へ…

である。正しい未来、とは書かない。新しい自分、とも書かない。まして、到着した、とも書かない。ただ方向だけを置く。

そしてその上にあるのが、消えていく茜空。最初は、消える前に、と急いだ。最後には、消える前が美しいね、と言った。空は結局、消える。止められない。

でも、消えることと美しいことは、反対ではなかった。ガラクタと宝物が同じ日々だったように。その二つを同時に置いたまま、君の元へ向かう。この曲にある「受容」は、何もかも片づいた静かな境地というより、そんな妙に矛盾した向き直り方なのだと思う。

クレジット

作詞
みゅー
作曲
みゅー