ちゃっきー21
翌年には、もう歌えない。
「ちゃっきー21」という題名からしてそうだ。22歳になったら数字が合わない。誰にでも使える誕生日ソングではなく、ある人が21歳になった、その一日にしかぴったりこない。十二行しかない。でも、それで十分だったのだと思う。
作品情報
- 収録作品
- 1st album『真実の口』
- Track
- 4
- 制作
- 2005年11月
- 初出
- 2006年9月4日
- クレジット
- 作詞: みゅー/作曲: みゅー
歌詞
ちゃっきー ちゃっき−21
ちゃっきー ちゃっき−21
ちゃっきー ちゃっき−21
おめでとう
ハッピー ハッピー21
ハッピー ハッピー21
ハッピー ハッピーバースデー
トゥーユー
秋に生まれた 千秋が生まれた
秋は素敵だ みんな秋が好き
千秋が笑えば 千秋の笑顔が
笑顔が素敵だ みんな千秋が好き
曲を読む
最初の四行は、ほとんど名前と年齢だけでできている。
ちゃっきー ちゃっき−21
ちゃっきー ちゃっき−21
ちゃっきー ちゃっき−21
おめでとう
三回呼んで、ようやく「おめでとう」。
何かを説明しているわけではない。
どんな人なのかも、どんな一年だったのかも言わない。ただ名前を呼ぶ。しかも本名ではなく「ちゃっきー」だ。
あだ名というのは、その人についての情報というより、その人との距離を表す名前である。知らない人が見ても何のことか分からない。でも、その場にいた人にはそれで通じる。「21」も同じだ。人生全体から見ればただの数字なのに、その日だけは大事になる。
そして来年には使えなくなる。この歌は最初から、長持ちすることをあまり考えていない。次は、おなじみの誕生日ソングらしきものになる。
ハッピー ハッピー21
ハッピー ハッピー21
ハッピー ハッピーバースデー
トゥーユー
「ハッピーバースデー・トゥーユー」をそのまま歌わず、「ハッピー」を何度も繰り返して、途中に「21」を突っ込む。正式な歌詞というより、もう掛け声に近い。しかも最後まで取っておかれた「トゥーユー」の you が誰なのかは、とっくに分かっている。さっきから三回も呼ばれている。ちゃっきーである。
そして最後の四行で、急に日本語の言葉遊びが始まる。
秋に生まれた 千秋が生まれた
秋は素敵だ みんな秋が好き
千秋が笑えば 千秋の笑顔が
笑顔が素敵だ みんな千秋が好き
「秋」が「千秋」の中に入っている。秋に生まれた千秋。秋は素敵だ。みんな秋が好き。
そこからほとんど勢いだけで、みんな千秋が好き、まで行く。季節の秋を褒めていたはずなのに、気づけば本人を褒めている。ずいぶん単純な言葉遊びなのだけれど、誕生日会の歌ならこれくらいがちょうどいい。
それより気になるのは、
千秋が笑えば 千秋の笑顔が
笑顔が素敵だ みんな千秋が好き
のところだ。「千秋の笑顔が」と言ったのに、文がそこで終わらない。次の行でも、もう一度「笑顔が」から始まる。文章として整えるなら、一回で済む。でも歌では二回言う。
「千秋の笑顔が」。「笑顔が素敵だ」。誰かの言葉を、隣の誰かがそのまま拾ったようにも聞こえる。実際にどう歌い分けられたかは分からない。ただ、少なくとも歌詞そのものが、きれいな一文より、声を重ねる方へ向いている。
そして、この歌には「僕」がいない。「私」もいない。出てくるのは「ちゃっきー」「千秋」、そして「みんな」だ。
みんな秋が好き
みんな千秋が好き
もちろん、全員にアンケートを取ったわけではない。
「みんな好きだよな」と、その場で言ってしまう。そしてみんなで歌えば、本当にその瞬間だけはそういうことになる。この「みんな」は事実の報告というより、祝福の形なのだと思う。だから十二行でいい。その人の人生を説明しなくていい。
名前を呼ぶ。年齢を呼ぶ。笑顔を褒める。最後にみんなで好きだと言う。それ以上何を足すんだ、という歌である。
一人で作った曲が、その場ですぐ自分だけのものではなくなる。周囲の一言で歌詞が変わり、みんなで演奏したことで完成形まで共同の空気を帯びた。現在の音源だけでなく、部室で笑われながら書き換えた時間まで含めて「ちゃっきー21」なのだと思う。
制作背景
ちゃっきーの誕生日会で、部室に集まっていた時に本人の記憶では「10分くらい」で作った曲。その場にいた人たちでそのまま演奏し、予想以上の大合奏になったという。最初は個人的な告白のようになりかけた歌詞も、周囲のツッコミを受けてその場で「僕」から「みんな」へ変わった。みゅー本人による詳しい制作記録は、NOTES「制作秘話」で読めます。
Mutant Music史から見ると
「ちゃっきー21」は、Mutant Musicの作品史の中でもかなり変わった位置にいる。
何か深刻な感情を一人で掘り下げた歌ではない。
十年後にも通用する言葉を書こうとしたわけでもない。むしろ逆である。ちゃっきーが21歳になった日に、そこにいた人たちが歌えれば、それで役目を果たしてしまう。翌年にはもう「21」が古くなる。そういう歌だ。
同じ『真実の口』には、もう一つ誕生日から生まれた「笑顔のち夏」がある。こちらは誕生日をきっかけにしながら、季節が巡ること、歳を重ねること、その先まで一緒にいたいという時間へ言葉を伸ばしていく。「ちゃっきー21」は反対に、その日の現在からほとんど動かない。21。おめでとう。
笑顔が素敵だ。みんな好き。それだけで終わる。だから片方が簡単で、片方が発展した歌だという話ではない。用途が違う。
「笑顔のち夏」が誰かへ渡す手紙のような歌だとすれば、「ちゃっきー21」はその場で回す色紙みたいなものかもしれない。みんなが一言ずつ書ける。誰かが途中から参加してもいい。きれいに完成させることより、そこにいる人が加われる方が大事だ。Mutant Musicには一人で作り、一人で録音した曲がたくさんある。
でも「ちゃっきー21」を見ると、その「一人」という単位も案外あやしい。曲は一人から出てきても、歌われた瞬間にはもう人の間にある。しかもこの曲の場合、それが十数分のうちに起きてしまった。大きな作品史を背負わせる必要はないと思う。ある人が21歳になった。
みんなで祝った。曲ができた。みんなで演奏した。その日のためだけだったはずの十二行が、なぜか今も残っている。それだけで、かなりいい。
クレジット
- 作詞
- みゅー
- 作曲
- みゅー