【宅録DTM】シダミライ?
制作と配信の記録
せっかく歌ったのに、声が録れていなかった。
この配信は、いきなり録音のやり直しから始まる。音声キャプチャーを確かめ、もう一度「シダミライ」を歌う。けれど、やり直しているうちに、昔のファイルや制作日を確かめ始める。
自分で作った曲なのに、自分で発掘している。今回は、そんな配信だった。
「シダミライ」をもう一度歌う
まずは曲を頭から歌い直す。ところが、終盤には声を重ねて作った部分があり、一人でその場だけではすべてを再現しきれない。
完成した音源を流して説明するのではなく、いま歌えるところまで歌う。止まったら、昔どう作ったのかを思い出す。歌い直しそのものが、曲の構造をもう一度調べる作業になっていく。
録れていなかったから、もう一度歌う。ただそれだけのはずが、自分で作った曲を自分で確かめ直す時間になった。
昔の制作日を見て驚く
昔の制作ファイルを開くと、そこには日付が残っている。
配信では、その日付を見つけた僕自身が驚いている。自分で作った曲なのだから、いつ頃だったか知っていそうなものだけれど、記憶の中の順番とファイルに残った日付は、必ずしも同じではない。
作品の履歴を説明するというより、まず本人が資料を見て驚いている。その反応が面白い。自分の曲なのに、昔のファイルを開くたびに知らないことが出てくる。
歌いながら言葉を置き直す
歌っている途中では、言葉をどこへ置くかについても何度か立ち止まっている。
すぐ次へ進まず、少し間を取るような歌い方を試しながら、メロディーへの収まりを確かめる。ほんのわずかな間だけれど、そこが変わると、言葉の聞こえ方も変わる。
歌詞の意味を説明するのではなく、実際に歌いながら、言葉を置く場所をもう一度探している。
生演奏を入れたい
アレンジを考えながら、パソコンの中で曲を組み立てつつ、なるべく生で弾いた音も入れたいと話している。
全部を生演奏にするわけでも、全部を打ち込みにするわけでもない。ピアノやドラム、コーラスを確かめ、何を足すか、どこまでシンプルにするかを考える。
方法を先に決めて曲を当てはめるのではなく、その曲に必要な音を、作業しながら探していく。配信では、その判断も完成した方針ではなく、作業中の独り言として出てくる。
ファイルを開くと、曲が続いている
「シダミライ」をたどったあとも、別の古いファイルを開いていく。
完成していない曲も、短いメロディーや仮の名前のまま残っている。この日は、そういう断片も実際に開いて、弾き直している。
「Sing a song」では、「ただ春を待つメロディー」という一節の周りを少し歌う。サビらしい部分はあるけれど、曲全体はまだできていない。コードを探し、途中で分からなくなり、できているところまでを確かめる。
録れていなかった歌を録り直して、昔のファイルを開いて、日付を見て驚いて、途中のメロディーも少し弾く。
そんなふうにしているうちに、「シダミライ」一曲だけでは終わらなかった。